哲学の1領域として「倫理学」がありますが、これほど世の常識と異なった分野も珍しい。現在日本で倫理観(道徳観)がそうとう混乱しているように見えますが、じつはその逆で、かなり安定しているのです。
「人を殺してなぜ悪い?」という中2病的問いが、かなり昔にジャーナリズムを賑わしましたが、これはそれほど哲学的に見て高級な問い、深刻な問いではありません。大体「悪いもの」のリストを制作することは、教育評論家をはじめとした「非哲学的評論家」にまかせておけばいい。
(真の)哲学者はもっとレベルの高い問いに挑んでいます。たとえば、「そもそも『悪い』とはいかなることを意味するのか?」や「あることが悪いと知っていながら、なぜ人はそれをするのか?」など。
マイナスの決め付けも、思考していない結果
いわゆる世間で「道徳教育を徹底しよう」とか「道徳の退廃を嘆く」というせりふが時々聞こえますが、こうした態度ほど哲学とかけ離れているものはない。
これらの掛け声を発している人は、「善あるいは悪とはいかなる意味か?」という問いを発しないばかりか、何が善い悪いかさえ、だいたいこんなところだと決めたうえで、「道徳の退廃」や「道徳意識の希薄化」を嘆くのです。
しかし、私の言いたいことは、これではなく(これはあまりにもあたりまえなので)、むしろこういう紋切り型の問いに反抗して、「善悪なんかぜんぜんわからない」とか「人を殺してもいいのだ」という反抗的態度をとることもまた、同じくらい非哲学的だということです(だから、さっき「中2病的問い」と言ったのです)。むしろ、こうしたマイナスの決め付けも、よく思考していないことの結果でしょう。
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