ネット時代、「名誉毀損」はこんなに変わった 「損害」と認められる範囲が広がった意味
取材中、佃弁護士の話しぶりは、理路整然としたものだった。その姿から、小学校のころはまったく勉強をしない子どもだったということは、およそ想像しがたい。
「ランドセルにはすべての教科書が入れっぱなし。家に帰ってランドセルを置いたらすぐに外に遊びに行ってしまう。だから教科書の忘れ物をしないかわりに、学校の手紙を親に渡し忘れたりしました。親は、私のランドセルを開けては学校だよりなどを取り出すのが常でした」
上のきょうだいが高校受験を迎えたときに、はじめて「これは勉強をしなければ大変だ」と気づき、中学生になったころから勉強に身を入れることにした。
「弁護士を志したのは、かっこ良いと思ったからです。テレビドラマなどで、無実の人を助ける正義の味方、というイメージを抱いていました」
名誉棄損の紛争は「なくなってはいけない」
1993年に弁護士登録。翌年、事務所の先輩の手伝いをしたのをきっかけに、名誉毀損の事例にかかわりはじめた。
2005年に『名誉毀損の法律実務』(弘文堂)を、2008年にその第2版を出版した。現在、名誉毀損関係の相談では、企業や大学など組織内の対立にまつわるものが多いという。
「誰かが独断専行の運営をしているとか、その手の話です。この種の事案は当事者間の意見の対立が激しいですから、裁判で飛びかう書面の分量も多いんです。訴訟合戦になることも多々ありますね」
素朴に、「名誉毀損はなくならないものですか」と尋ねると、「なくならないと思いますし、なくなってはいけないものだとも思います」という意外な答えが返ってきた。なぜ、そう考えるのか。
「言論活動は、よりよい社会を作るうえで必要なことですから。名誉毀損の紛争が起こるということは、自由闊達な議論がなされていることの裏返しであり、社会の健全性を表しているものと言えます。『もの言えば唇寒し』と言ってばかりではいけないということです。
言論は、ぶつかり合ってナンボです。ぶつかり合って、そこで逸脱したものが法的責任を問われるわけですが、法的責任は、本当に責任を負わせてもよいものに厳しく限定しないと、言論は萎縮してしまいます」
名誉毀損の本には、表現の自由にまつわるメッセージを込めてきた。「表現の自由を保障するためには、名誉毀損に関する法の解釈・適用はこうあるべきだ、あるいは、こうであってはいけない、ということを端々に書いたつもりです。本来なされるべき言論が名誉毀損の責任を負わされるなど、不当な言論抑圧が起きてはならないと思っています」
書籍の改訂は、今後、やりたいことの一つだ。「情報が古くなってきましたので、先に話した判例についての話題も追加して、これを読めば名誉毀損は大丈夫、という本にしたいですね」
佃弁護士のインタビュー動画はこちら。
(取材・構成/具志堅浩二)
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