博報堂を辞め、プロレスに挑む男が見た現実 「好きなことで、生きていく」のは甘くない

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一歩間違えれば命にかかわる危険な技を応酬し合う

欠場明けの三富は、一皮むけていた。選手としても活躍し、頭角をあらわすとともに、身体づくりなど基礎トレーニングを練習に取り入れ、興行のあり方についても仲間が見に来る内輪の学芸会のような現実を変えるべく、各個人の自己満足ではなく、興行全体の流れや盛り上がりを意識したものに変えていった。

Twitterを通じて、プロレスラーでありDDT社長、現在はWRESTLE-1の会長も務める高木三四郎と出会ったことも大きな変化をもたらした。実際にDDTの会場でアルバイトもさせてもらい、プロの試合の奥深さ、必ず観客を満足させて帰す姿勢を学んだ。

大学3年生の時の学生プロレスサミットはそんな彼の集大成だった。長年、全日本プロレスで活躍した名レフリー和田京平を迎えた。三富の試合は和田にも絶賛された。

絶賛と揶揄、敵も味方もつくった

もっとも、三富のプロ志向、改革路線は学生プロレス関係者の間では敵も味方も両方作ってしまった。この興行も絶賛する声がある一方、「三富政行主催興行」と揶揄する声も出た。

そして就活がやってきた。社会人や他大の学生と会うたびに、周りは自分のことを学生時代は遊んでいても就活は要領よくこなし大企業に進もうとしている慶大生だと捉えていることに気づいた。就活の対策や準備などはほぼしなかった。大手IT企業、放送局、広告代理店など5、6社を受けているうちに、博報堂から内定が出た。何がなんだかわからないうちにあっという間に就活は終わった。

内定先の博報堂ではこれから流行りそうなものを聞かれて、サプリメントバーだと答えた。ゴールドジムなど、フィットネスクラブに来ている人の観察をして語った。面接官は発言の端々から生活者視点を感じ取ったのかもしれない。

苦悩はここから始まった。博報堂は学生にとっては憧れの就職先である。ただ、あまりにも早く、なんとなく内定が出てしまったがゆえに、自分は何者なのか、社会人になることが良いことなのかと悩み始めた。内定者懇親会でその疑問は決定的になった。他の学生は、博報堂に入ることにもっと一生懸命だった。よく研究して、ビジョンも明確だった。

そこまで熱くなれなかった。本来、就活の初期に悩むべきことで心が揺れた。プロレスラーという夢も捨てられなかった。恩師である高木三四郎に相談したところ「おまえは、ちゃんと大学を出て、いったんは会社に入れ」とアドバイスされた。

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