博報堂を辞め、プロレスに挑む男が見た現実 「好きなことで、生きていく」のは甘くない

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大学では学生プロレスをやることを決意していた。三富には麻布高校から一橋大学に進学して日銀に進んだ、少し年齢が離れた兄がいる。兄と一緒に遊びに行った学園祭で学生プロレスを観戦したことも影響していた。

現役時の2008年春には青山学院大学に合格していた。同校も名門校として知られているのだが「学生プロレスをやるなら、もっといい大学でやりたい」と考え、浪人を決意した。

浪人時に通った駿台予備校では、レベル感の合う知的で自由奔放な仲間ができ、よく遊んだ。プロレス好きをカミングアウトしたら、みんな面白がってくれた。金髪にし、歌舞伎町でホストクラブやキャバクラのキャッチ(呼び込み)のアルバイトなどもした。ただ、遊びすぎて偏差値が60から50まで10落ちた。三富はここで奮起し、勉強に集中。偏差値を70までアップさせ、早慶の複数学部に合格する。入学金の振り込み日が早かったという理由で慶応義塾大学文学部に進学する。

合格後、すぐに学生プロレス団体UWFにメールし、入門。憧れの学生プロレスの門を叩く。水泳、空手で鍛え、高校時代にスクワット500回はすでにできるようになっていた三富の身体は大学生離れしていた。先輩や同期たちの身体を見ても身体が小さいと感じた。練習にも基礎的なトレーニングやマット運動がないことにも疑問を持った。その後、団体の改善点は自ら提案し、変えていった。

入学後約2カ月で最短デビュー

デビュー戦は2009年5月30日、国士舘大学町田キャンパスの学園祭だった。人数の少ないイベントではあったが、入学後約2カ月でのデビューは同期の中では最も早かった。リングネームは潮吹豪。プロレスラー潮崎豪をもじったものである。学生プロレスらしいプロへのリスペクトと下ネタがミックスされた名前だった。

ところが、大学1年生最後の学生プロレスサミットというビッグマッチで事件が起こる。相手選手の垂直落下式DDTで、頚椎損傷、頚椎ヘルニアという大きなケガを追ってしまったのだ。相手の技の失敗と、空手時代も含めた長年の蓄積によるものが爆発した。医者からは、「運動をやめるように」といわれた。半年間の欠場期間、休養期間に入った。同期たちはどんどん上達し、活躍していく。握力なども激しく落ちた。早くも絶望を味わった。

ただ、このブランク期間は三富に新しい武器をもたらした。身体づくりについてパーソナルトレーニングを受けるとともに、体の神経の阻害を取り除く事によって様々な症状が自然と改善する治療法であるバイタルリアクトセラピーとも出会った。ますますプロレス観戦に没頭し、レスラーは技を出すのではなく、受けること、間のとり方が上手いということを発見した。

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