博報堂を辞め、プロレスに挑む男が見た現実 「好きなことで、生きていく」のは甘くない

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だが、博報堂を辞めた後の三富政行のキャリアは順風満帆というワケではない。むしろ、試行錯誤、紆余曲折の繰り返しだ。憧れのプロレスラーになって見てしまった業界の厳しい現実、団体に不利益となる発言によるTwitter(ツイッター)の炎上とそれによる60日間の出場停止処分、試合で受けたバックドロップによる頚椎捻挫・胸椎打撲・頚椎症性神経根症というケガ、さらには所属していた団体の解散も経験した。

2015年7月4日、DDT系列の団体ガンバレ☆プロレスに参戦した三富政行は、YouTuberとしても有名なシバターと組んで、同団体代表の大家健と対戦した。2対1のハンディキャップマッチなのにもかかわらず、大家健の必殺技である炎のスペアーを受け敗北した。試合後のマイクアピールで、三富は想いのたけをぶちまけた。

「挫折したってことを認めたくなかった」

「(前略)俺もこの5年間、いろんなことがあった。はっきり言って学生時代は人生で負けたことがなかったよ。いい高校にいって、いい大学にいって、いい就職先から内定もらって、一度も挫折したことがなかったんだよ。
だけど、社会に出て俺は挫折って認めたくないけど、正直つらいことがたくさんあった!(涙ながらに)だけど俺は挫折を挫折って認めたくなかったんだよ!自分が挫折したってことを認めたくなかった。大好きなプロレスがすげえ大嫌いになった時もあったよ。
だけど、プロレスってよかったんだなって思わせてくれたのはこの間の大家さんの試合だよ!大家健が救ってくれた。大家さん、ありがとうございます!(後略)」(出所:DDTオフィシャルウェブサイト)

100人強の観客に、この言葉が叩きつけられた。これはプロレス的なアピールを超えた、三富の魂の叫びだった。これまでの人生を総括したものだともいっていい。王子のラブホテルの地下にある、場末感の漂う会場での出来事だった。

慶大卒、博報堂という輝かしい経歴を捨てて、プロレスで食べる道を選んだ三富。自分が理想とするような食べ方はできているだろうか。

三富は1989年8月2日、東京都世田谷区で生まれた。実家は不動産屋を営んでいる。大手以外では東京で最も古い不動産屋の一つだ。何不自由なく育った。

プロレスとの出会いは小学校を卒業する直前の、2003年の春だった。プロレスリング・ノアの日本武道館大会での三沢光晴(故人)対小橋建太(引退)のGHCヘビー級選手権試合をテレビでたまたま見た。この日、三沢は小橋を花道から場外にタイガー・スープレックスで投げ捨てた。歓声と悲鳴が飛び交った。名勝負として語り継がれている試合だ。大技を何度受けても立ち上がるプロレスラーの打たれ強さ、不屈の魂に震えた。

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