※前回記事:東大を抜いた「学費・家賃タダ」の大学の正体
日本で教育を受け、日本企業で9年間働いた純国産のサラリーマンが、海外産のグローバルエリートと同じ土俵に立って、対等にやりあえるのだろうか。そんな自らの“市場価値”を思い知らされる局面が留学にはある。
世界の大学院で日々繰り広げられる「グループワーク」だ。
世界中から集まった同級生たちとチームを組む。上下関係のない対等な立場で協力しながら、時には反発しあい、レポートやプレゼンをやりとげる。
職業や年齢、文化も違う多様な人材との共同作業は、グローバル社会を知る貴重な体験にもなる。だが決して楽しさばかりではない。むしろ苦労やショックの方が多い。
今回は私が味わった、グローバルエリートへの「完全なる敗北」についてお話ししたい。
「まかせとけ!」と言いたいが、実際は……
「テツは記者だよね?それなら学期を締めくくる“最終レポート”を編集してくれない?」
シンガポール国立大学(NUS)の大学院で学んでいた今年の4月。政策分析という宿題に取りくんでいた時だった。仲間のひとりであるシンガポール財務省の女性が、私に重要な仕事を振ってきた。
学期のまとめとなる「最終レポート」は、グループ全員の成績を決める最も重要なもの。大きなミスがあれば、卒業できない可能性もある。編集といえば、メンバーから渡された各項目をまとめ、導入や結論を考え、完成した小論文に仕上げるという大切な仕事だ。
「まかせてくれ。みんなの答えを参考にしながら、レポートを完成させるよ。誤字脱字の確認に加え、文章も整えるよ」
と言いたいところだが……。