ハーバードで考えた、純ドメ日本人の「価値」 「同じ30代でも専門性が違う!」と絶句

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ほかにも「弁護士×MBA」、「経済学博士」、「工学修士×環境学博士」、「ジャーナリズム修士×経済学修士」など、「学歴コレクターか?」と思うほど。世界のトップ校から得たいくつもの博士号や修士号を持ちながら、ハーバードにくる同級生がごろごろいる。彼らの履歴書は本当に輝いている。

すごいのは学歴だけではない。「学位の掛け算」でキャリアを広げ、卒業後にプロとして実績を積んでいる点だ。戦略的に他人と差別化し、専門性という武器に磨きをかけ、市場価値を高めていく。米国の大学にはそういう人材が、欧州、中東、南米、アフリカなどから集まってくる。

そうして、私が取った戦略は……

日本の企業では2、3年で異動し、あらゆる部署を知るジェネラリストを育てる傾向がまだまだ強い。いくら社内で通用するスキルにたけていても、国や文化がまったく違うグローバルでフラットな環境では、どこでも通じる実力のみが問われてしまう。

実際に各国から職員が集まる世界銀行の人事担当者もこう言っていた。

「(ローテンションでいろいろな部署を経験する)日本人の履歴書を見ても、学位や職歴に一貫性がない。プロとしてどんな仕事ができるのか、イメージがわかない」

グローバルエリートたちはどん欲に広げてきた経験や知識の幅をいかし、グループワークの最中にも鋭い発言や提案をしてくる。グローバルという文脈になじみにくい”ガラパゴス化”した日本の学歴や職歴も、どうしても強く感じざるをえない。「アカン、めっちゃ負けてるわ」という敗北感はますます大きくなってしまう。

いったい、ひとりの日本人として、グローバルエリートと戦い、どうすれば成果を出せるのだろうか。

まだ答えを模索しているものの、ここのところ、「英語の壁があって生産性が低いぶん、時間をかけるしかない」と割り切れるようになった。手間がかかり苦労も多いが、留学して1年半が過ぎ、これが自分なりの折りあいの付け方なのだと言い聞かせている。特に私のように記者経験から生まれる「日本語力」というほぼ唯一の強みを失われた者には、地道な作業の積みかさねで結果を出すしかない。

だから真っ先にプレゼン用のパワーポイント作りを引き受けたり、課題の進み具合などを管理する「ロジ」を担ったり、時間さえかければできる統計データの処理を引き受けたりする。課題のテーマに日本が関連しそうなら、日本人という強みを生かし、日本の例を調べて材料を提供する。そのぶん、英語力が問われるプレゼンやグループ討論では、英語が得意なネイティブスピーカーに任せる。

不器用で地味だが、そうやって自分に今できることで貢献して、少しでも結果を見える形につなげていくしかない。「日本語ならあの最終レポートも編集できたはず。自分の強みが発揮できたのに……」と悔しさを日々かみしめる一方、高い専門性を持ち、頭も切れる人材に囲まれるなかで、「どうすれば少しでもチームに貢献できるのか。仲間から信頼を得られるか」を考えた結果だ。

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