「いや、記者を9年間やっていたといっても日本語だよ。英語で編集するなんてやったことがないし、自信もない」
と断るのが精いっぱいだった。
私はNUSの後にハーバードにと、海外の大学院をはしごしている。そのため、「英語はペラペラなんでしょう?」と思われることもある。確かに英語で学び生活しているため、ふつうの日本人よりは英語ができるだろう。
だが小学校から大学まで日本で教育を受け、海外に住むのは今回の留学が初めて。いわゆる純ドメ(純粋なドメスティック=国内産の)人材だ。ハーバードにいるからといって、特別な英語力があるわけでもない。
いまだに日常会話が聞き取れないときもあるし、メールを書くときに文法や単語で困ることもしばしば。学期を締めくくる最終レポートのような重要な課題の際は、「母国語の日本語でも難しい文章を英語で書くなんて」と、考えるだけでいまだに頭が痛くなる。
グローバルエリート、脅威の「専門性」
NUSでのグループワークの課題は、シンガポール、香港、東京の政策を比べるというものだった。シンガポールをシンガポール人が、香港を中国人が、東京を私が担当した。シンガポールと香港という共通点の多い2つの地域を比べるのが主な中身だった。そこで作業量が多い2人とのバランスをとるため、作業量の少ない私に「最終レポートの編集」の依頼がきてしまったのだ。
しかも記者という経歴を見こんでの頼みだ。にもかかわらず、英語に自信がない私は情けなくも「ごめん、悪いけどできない」と小さな声で断るしかできなかった。強みであるはずの日本語という武器を奪われると、「ここまで何もできないものか」と愕然としてしまった瞬間だった。
留学に来てさらに戸惑うのは、グローバルエリートたちの専門性の高さだ。
以前の記事でも書いたが、ハーバードの大学院には世界中からさまざまなバックグラウンドを持つ大人たちが集まる。現在学ぶ大学院、ハーバードケネディスクールの同級生214人は平均年齢が38歳、国籍は77カ国にものぼる。職業もバラバラ。ひとりとして同じような境遇、仕事、経験を持った人はいない。そんな多様な人材の中でも目を見張るのが、プロとしての歩みだ。
例えばバイオベンチャーへの投資ファンドを運営する同級生は、生物の博士号(PhD)とMBAを持つ。さらには理系の技術者という経歴をいかして技術系ベンチャーへの投資ファンドを運営する弁護士、政府で働いた経験をいかし医療政策への知識を深めたいと学ぶ医師など、日本では日頃あまり出会えないような、多様な経験を積んだ人材がいる。