学芸大は挫折した元エリートが住む街だった 41歳の拓哉に訪れた、再度の挫折と転機
資本主義って結局他人と自分を比較し続けなきゃいけない世界で、東京では上には上がいる。蒲田に住んでいた頃、東京の大海を知らず。な状態でしたが、他人と比較していてもキリがないってことに、ようやく気づいたんです。
5MINUTESの時、あのまま上場してストックオプションでキャピタルゲインを得て、一瞬ウハウハ(笑)できても、満たせたのは虚栄心だけだったのかもしれない。自分に軸がなく、東京の“出世圧力”に押し潰されないように、戦っていただけなんじゃないかな。
そういうのには、もう疲れてしまったんです。
伝統工芸品販売の「CRAFT JAPAN」を設立
40歳の時になけなしの貯金を叩いて、資本金500万円で「CRAFT JAPAN」を設立しました。資本金を食いつぶしながら事業を始めていったのですが、創業後半年経った頃には5MINUTESの時のようにベンチャーキャピタルではなく、銀行借入で資金調達をしました。日本の伝統工芸品に代表されるハンドメイド作品は、今や世界中に欲しがる人がいます。インバウンドブームも視野に入れた事業で、将来的にはリアル店舗を持ちたいと考えています。
ちなみに家の近所の鷹番3丁目にはFOOD&COMPANYというグローサリーストアがあり、KINFOLK的な文脈で注目されているようです。こういうオーガニックにこだわったていねいな暮らし、いいですよね。どこから仕入れたのだろう?と思うほど、普通のスーパーや同じような洒落たグローサリーストアでは見かけないモノばかり。家から物理的に近いということもあり、通っていくうちに、その思想に影響を受けるようになりました。
まずは東北や北陸地方を周って伝統工芸品を100種類ほど仕入れて、「Etsy」に出品することから始めましたが、3日も経たずして完売しました。モノを仕入れて売るというのは商社でやっていたような仕事で、PLなどの肌感覚もあり、事業は最初から比較的順調に回り始めました。5MINUTESでは最終的にはあまり役に立っていなかったようですが、やっぱり自分には商才があるんじゃないかと思ってしまいましたね(笑)・
41歳の今は、新米中小企業経営者として、なんとかやっている感じです。春香も出産を機に5MINUTESを退職して、CRAFT JAPANを手伝ってくれるようになりました。家族経営ですね。自宅がオフィスで、仕入れた伝統工芸品の置き場がなくなってきて困っています。利ざやも薄く、スケールしないと儲からず大変ですが、自分でしっかり事業をやっているんだという手応えを得始めることができています。
もう僕は他人と比較する人生には懲りたんです。春香と娘を幸せにすることを第一に、この会社の経営を成り立たせていきたいと考えています。
5MINUTESを退職し、ハローワーク通いも経た結果、伝統工芸品を扱うCRAFT JAPANを設立した拓哉。44歳の彼はどこで何をしているだろう?
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