学芸大は挫折した元エリートが住む街だった 41歳の拓哉に訪れた、再度の挫折と転機
そんなこんなで学芸大学に引っ越した39歳。ハローワーク生活を続けながら、次に何をするかを考え続けていました。その矢先、春香の妊娠が発覚したのです。タイミング的に順序が逆になってしまったけれど、結婚するなら彼女しかいないと思っていました。いわば“ヒモザイル状態”になっていた僕でも見捨てずに一緒にいてくれて、31歳になっても「家の片隅にゼクシィ」という“ゼクハラ”を仕掛けてこなかった人です。
自分が無職であることも構わず、「結婚しよう」って言いました。すると彼女は「おせーよ」との四文字。しかしその後の笑顔は、「やっと言ったか」という表情で、答えがイエスであることは明らかでした。
なぜ僕のような頼りないやつを選んでくれたのでしょうか?「私がいてあげなくちゃって」母性本能をくすぐられていたらしいです。それだけらしいですよ。まったく、頼もしい限りです(笑)
春香は出産後も働くつもりのようですが、出産時には休職します。すると、世帯年収はゼロです。
やばい。さすがにそろそろ働いて稼がないと。
転職することも考えましたが、結局、自分で事業を立ち上げることにしました。
東京資本主義に疲れ、カウンターカルチャーへ傾倒
実は資本主義に嫌気が差している自分がいました。5MINUTESを辞めたのも、結局ストックオプションで揉めたことが引き金でしたが、今振り返ると自分は何て小さいやつなんだと思いますね。そういった株とかに惑わされず、小さくてもいいから実体経済で、自分の足で立ちたいと思うようになりました。
そうしてたどり着いたのが、伝統工芸品やハンドメイド品の販売です。
アメリカではリーマンショック以後の世界で、大量生産大量消費の資本主義に疲れたカウンターカルチャーとして、ポートランドを中心とした地産地消やハンドメイドにこだわる生き方が、注目を浴びていました。日本でも最近『KINFOLK』がかなり人気を博していますよね。清澄白河にできた『ブルーボトルコーヒー』も、そういう流れです。
その気持ち、すごくよくわかったんです。