大河ドラマ「豊臣兄弟!」桶狭間の合戦前夜!危機を前にした織田信長の振る舞いを文献をもとに再検証

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ところが『信長公記』の天理本には、信長はその夜、軍議を開いたと書かれているのです。

軍議の席で信長は「是非とも国境で(今川方と)一戦を遂げたい。今川方の拠点に逃してしまっては甲斐がない」と発言したとされます。

それに対し家老衆は一様に「敵は4万5000の大軍です。我らはその十分の一にも足りない人数にございます。これほど良い名城(清洲城)を持っているのですから、時期を見て合戦するのが宜しいと思われます」と進言します。まずは清洲城にこもってはというのです。

が、信長は家老衆の提案に耳をかさず、野戦での決戦を敢行するのでした。

この『信長公記』(天理本)の逸話も、フロイスの前述の文章『彼はわずかしか、またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず』に一致するものです。

どちらの信長の態度も剛毅で独断専行の指導者像を示すものですが、天理本のほうが信長の実態に近いのではとの見解もあります。

どちらの説でも信長が不利なことには変わらないが…

天理本では軍議の後に酒宴となり、信長が自ら鼓を打ったとのこと。この点もこの点も一般によく知られている『信長公記』の陽明本の内容とは異なります。

陽明本での信長は、敦盛の舞を舞った直後「螺貝を吹け、具足よこせよ」と命じると、物の具を着用。立ちながら朝食をとり、兜を着けて出陣していきます。

主従6騎で熱田までの3里を一気に駆けて行くのです。午前8時頃には、丸根・鷲津の両砦が陥落したと見えて、東のほうから煙が上がっていました。

この時、信長のもとには雑兵200ばかりが集まっていたとされますが、今川方の快進撃を思うと、そして軍勢の点を見ても圧倒的に不利でした。普通に考えれば、信長方に勝ち目はありません。この危機的状況を信長はどのようにして突破していくのでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro

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