そうした2つの奇跡が重なり、ついに平さんは3浪で秋田大学の医学部に合格することができました。
使命を見つけて道が開けた
「うれしかったけど、それよりもやっと終わったという感覚だった」と3浪が終わったあとの感想を答えてくださった平さん。
浪人して良かったことを聞くと、「古臭い言葉だが、諦めなければ夢は叶うことが実感できた」、頑張れた理由については、「医者になって人の心に光を灯したいという思いが芽生えたから」と答えてくれました。
「3浪して医師になっている経験があるので、その後の人生の困難も『諦めなければ道は開ける』って思えるようになりました。何回も立ち上がれる精神力は浪人のおかげです。2浪まではレールが敷かれていて医者にならないと人生終わりだと半ば強迫的に思っていました。このエネルギーは一見マイナスですが、今思うとセンター試験で690点まで点数が伸びたのはこの強迫観念のおかげですし、それはそれで良かったと思います。
ただ、そこから先を繋いだのは自分のやりたい『使命』が見つかったからなので、浪人の最後の年は、自分の目標のために頑張り続けることができて良かったと思っています」
6年で医学部を卒業したあとは精神科医としてさまざまな場所に勤務している平さん。先月には自身の経験や思いを書籍に込めた『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』を上梓しました。
「僕は大学に入ってから志が薄れていって、気がついたら普通の医者になっていました。でも、東日本大震災が起きて、食糧難で1日2食、おにぎりのみで泥だらけの被災した患者さんの治療にあたり、命は無限じゃないからやりたいことをした方がいいと思い、『開業して自分のやりたい医療をやろう』『暗闇で彷徨っている人に届ける本を書こう』と強く思いました。『人の心に光を灯す』という自分の使命を、震災で思い出したのです。
日本に生きていると、どうしても人の顔色をうかがってしまいますが、自分の人生の物語を作るのは自分です。どう言われようが自分の進みたい道(使命)を進むのが一番後悔しないと思います。もし今、浪人している人がいたら、浪人をしているときはきついけど、やりたい道を決めて、人の顔色なんかは気にせずに、自分の命を燃やして、やりたいことに突き進んでいってもらいたいなって思っています」
医師になるというプレッシャーをかけ続け、心を病み、それを克服した3浪の期間。多くの苦難を経験し、乗り越えた彼だからこそ、紡ぐ言葉の一つ一つに説得力があり、愛情が乗っているのだと感じることができました。
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