父は総合病院の副院長…医学部3浪で「うつ」状態の彼の部屋に訪問者「手に5000円を握りしめさせて…」人生救った思いがけない言葉とは

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「前年よりもだいぶ友達もいなくなって、そろそろやばいぞと思っていました。それでも多浪している友達が4人いたので、わからないところを教えたり、気分転換でご飯食べたりしていたのが少し救われましたね。これでダメだったらこの世から消えようかと思っていたので、英単語帳の単語を全部印刷して、A4のクリアファイルに入れて、セロテープで目張りしてお風呂の中で単語を覚えるなどして、1日14~15時間勉強をしていました」

この年のセンター試験は690/800点を確保。2次試験を頑張ればどこかの大学には受かるかもしれない水準に到達します。

前期で受験した大学は忘れたそうですが、後期は秋田大学医学部に出願。しかし、ここもダメで、平さんは自分の人生に絶望したそうです。

転機となった叔母のひと言

「3浪が決まったあとの2カ月くらいは、髭を伸ばし放題で風呂にもろくに入らず、死人のように自宅に横たわっているだけでした。病院に行ってないから診断は下りていないですが、現在精神科医の自分が過去を考えると、明らかにうつ病だったと思います」

3浪直後公園のベンチでなにも考えられずに座る(写真:平さん提供)
3浪直後公園のベンチでなにも考えられずに座る(写真:平さん提供)

しかし、家で寝続けていた3浪目の生活に転機が訪れます。それは5月に、自宅に叔母が訪問してくれたことがきっかけでした。

「当時の僕は励まされるのも怒られるのも嫌だったので叔母さんから逃げるように部屋に閉じこもりました。でも叔母さんは私の部屋に入るなり、僕の手に5000円を握りしめさせて、『光源ちゃん、そんな勉強ばかりしていると頭がおかしくなるからこれでエッチな本でも買いなさい』と言ってくれたんです。不思議なことに、この一言で今までの『医者にならなきゃ』『勉強しなきゃ』という重荷がふーっと取れていきました。

そのとき、初めて自分は本当に医師になりたいと思ったんです。今までは、医師になることは敷かれたレールであって、医者の子供に産まれた宿命を果たすと漠然と考えていましたが、このときの叔母さんのように、人の心に救いを与える仕事をしたいと思って、精神科医になろうと心から思うことが出来ました」

叔母さんの一言で「4歳の頃から17年間、医者にならなきゃならないと思っていたのがスッと消えた」と語る平さん。彼はこれがきっかけで「自分の道が開けた」と語ります。

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