父は総合病院の副院長…医学部3浪で「うつ」状態の彼の部屋に訪問者「手に5000円を握りしめさせて…」人生救った思いがけない言葉とは

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受験が迫る最高学年になってからはもう、早い段階で現役の受験で医学部に受からないのはわかっていたと語ります。

「高3の進路指導のとき、数学の先生に『お前こんな成績でどうしたいんだ?』と聞かれたのですが、『医師になりたい』と言ったら『こんな成績で入れるわけがないだろ、お前が入れたら逆立ちして商店街を歩いてやる』という感じで笑われました。当時の母校はバンカラの学校だったので、厳しい言葉の中にも生徒に対する愛情があったのですが、受験は自分でなんとかしてねという感じでした」

結局、平さんの現役のセンター試験は540/800点に終わります。

この年は前期で山形大学医学部、後期で宮崎大学医学部に加えて、自治医大・防衛医大も受験したものの惨敗。浪人が確定しました。

2浪しても受からず、人生に絶望する

こうして代々木ゼミナール仙台校で浪人することを決めた平さん。浪人する理由を聞いたところ、「自分の人生は医者になるというレールが敷かれていると思っていたから、もうそれしかないという感じだった」と答えてくれました。

1浪目の受験は、同級生が結構浪人していたこともあり、少し遊んでしまったそうです。

「勉強自体はしていましたが、参考書を買って少しでもわからない記述に出くわすと、『この参考書はダメだ』と思ってすぐに新しい参考書を買うことを繰り返していました。受験が終わる頃には捨てる参考書が150〜160冊くらいになっていましたね。しだいに勉強に対する自信をなくしてしまっていました。小さい頃の僕は算数が好きでしたが、高校数学になると微分・積分がまったくわからなくて、高校のテストで100点満点中7点を取ったりすることもありました」

1浪目のセンター試験は620/800点と前年度より伸ばすも、医学部には少し届かない数字に終わります。前期で信州大学医学部、B日程で秋田大学医学部を受験するも、不合格になってしまいました。

2浪目も代々木ゼミナールで勉強をすることに決めた平さんは、真面目に勉強をしていましたが、一方で精神面はつらい日々を送っていたそうです。

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