南アW杯パラグアイ戦「涙のPK失敗」から15年、あの《駒野友一》は今どこで何をしているのか

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駒野友一
2010年の南アフリカW杯・決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でPKを蹴る駒野。ボールはこの後、クロスバーを越えていった(写真:アフロ)

2026年北中米ワールドカップ(W杯)で優勝という壮大な目標を掲げているサッカー日本代表。1998年フランスW杯以降の過去7大会でベスト16入りしたのは、02年日韓大会、10年南アフリカ大会、18年ロシア大会、22年カタール大会の4回だけ。このうち10年と22年はPK戦へともつれ込み、あと一歩のところで8強入りを逃している。

3年前のカタールでは南野拓実(ASモナコ、以下選手名・監督名後ろのカッコ内は現所属チーム・肩書)、三笘薫(ブライトン)、吉田麻也(LAギャラクシー)の3人が立て続けに失敗し、責任が1人に集中することはなかった。

だが、南ア大会でミスをしたのは1人だけだった。それが、決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦PK戦で3番手として蹴り、シュートをクロスバーに当てた駒野友一だ。試合終了後、泣き崩れる駒野の姿はテレビ画面に大きく映し出され、批判の矢面に立たされる格好となった。

日本代表が史上初めて、最もベスト8に近づいたあの試合で“悲劇のヒーロー”となった駒野。彼の姿は今、古巣・サンフレッチェ広島の練習場にあった。

【この記事の続き】"W杯で号泣した男"だからわかる「俺たちのサッカー」が世界で通用しなかった本質的な原因、日本代表が世界を制すには何が必要か
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どん底からの復活、そして引退…

「自分1人だけが外して負けてしまった。責任はすごく大きかった。試合が終わった瞬間から自然と涙が出てきました。ボロボロ泣けてくるなんて、人生であのときだけです」

現在、広島のユースコーチに就いている駒野は、神妙な面持ちで述懐し始めた。帰国後も「自分のせいで負けた」という失望感が強く残り、どこへ行っても他人の目線が気になったという。最初は人とすれ違うだけでも怖かったくらい、精神的にどん底だった。

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