南アW杯パラグアイ戦「涙のPK失敗」から15年、あの《駒野友一》は今どこで何をしているのか
そこから必死にはい上がり、貪欲にプレーを続けた駒野。41歳だった2022年末に、当時J3のFC今治で現役からの引退を決断するに至った。
「僕は広島、ジュビロ(磐田)、FC東京、アビスパ(福岡)とJリーグで20年近くプレーさせてもらいました。19年に(当時JFLの)FC今治へ行ってからケガが多くなって、最後の22年は1回のケガを2回3回と繰り返すようになって、『体が限界に来ているのかな』と強く感じるようになりました。加えて、いい若手も育ってきた。今、柏レイソルで活躍している原田亘はその1人ですね。有望な選手が出てきたんで、決断すべきときだと思ったんです」
駒野は改めて23年間のプレーヤー生活にピリオドを打った経緯をこのように語る。
その時点では「指導者になりたい」という思いが頭の中にはあったが、具体的な身の振り方は決まっていなかった。もともと今治へ移籍したのは、南アW杯の日本代表指揮官・岡田武史監督(FC今治会長)からの誘いであり、そのままクラブに残る話もあったという。
だが、ユース時代から育ててもらった広島から「戻ってこないか」という話が舞い込んだ。駒野は二つ返事で快諾。翌23年から普及部コーチとして、少年指導から新たな人生をスタートさせることになった。
「今なら岡田監督の気持ちがわかる」

「今治で引退する2年くらい前から、ケガが多かったのもあって、コーチ目線で物事を見て、若手にアドバイスしたりすることが増えました。それが準備段階だったのかなという気がします。広島に行ってからは、週1回のクラスを持たせてもらいましたが、今の子どもたちは自分で考えることが少ないのかなと感じます。僕らが小学生だった頃は友達と遊ぶ中で『こうしたらいい』と工夫しながらやるのが日常茶飯事でしたけど、今はそういう機会が少ない。ミスしたときに『何がダメだったのかを考えて練習してみて』とよく声をかけましたが、自分で考えないとうまくならないと思います」
小学生と2年間、真摯に向き合った後、今年からはユース(高校生年代)のコーチに就任した。広島ユースというのは、彼や槙野智章(品川CC監督)のような日本代表経験者を複数輩出している名門だ。
今は、現役時代に横浜マリノス(当時)などでプレーした野田知監督の下、最高峰の高円宮杯プレミアリーグU-18ウエストを戦っている。駒野は最高学年のトップチームにはほとんど帯同せず、主に高校1年生を担当。そこでは指揮官として選手を選び、采配を振るうことも日々、行っているようだ。
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