南アW杯パラグアイ戦「涙のPK失敗」から15年、あの《駒野友一》は今どこで何をしているのか

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「監督になれば、どんなにかわいい選手でもスタメンから外したり、試合途中で代えたりしなければいけなくなる。僕自身も選手時代にそういう悔しさを数多く味わってきましたが、今となれば、岡田さんの気持ちもよくわかります」

苦笑する駒野が思いを馳せるのは、やはり15年前の日本代表である。06年ドイツW杯に参戦した駒野は、同年以降のイビチャ・オシム監督、岡田監督時代も「左右両方をこなせる万能型のサイドバック(SB)としてつねにメンバー入りしていた。しかし、長友佑都(FC東京)と内田篤人という左右の後輩SBの台頭を受け、南ア大会直前は2人の控えに甘んじた。

そんな中、南アW杯本番直前に内田が負傷。ついに出番が巡ってくると思われたが、5月の壮行試合・韓国戦で抜擢されたのは今野泰幸(南葛SC)。しかも、岡田監督は長友を右、今野を左という変則的な選手起用を試みた。続くイングランド戦でも今野を右、長友を左で使っており、駒野自身は「心が折れた」と苦しい胸の内を吐露したことがあった。

「それでも『つねにコンディションをいい状態で保つことが大事だと思ってやり続ければ、どこかでチャンスがある』と信じていました。気持ちが折れてしまうとプレーに出てしまうので、そこだけは切らさずにやろうと心がけました」

指揮官の冷遇にもめげることなく、辛抱強くサッカーに向き合った。その結果が、南アW杯での右SBの定位置奪取だった。

「大きな失敗」を乗り越えた男の達観

松井大輔引退試合
2024年12月に松井大輔の引退試合に出場した駒野(写真:筆者撮影)

冒頭のとおり、PK失敗というつらい結末を余儀なくされたものの、駒野がこの大会で献身的にチームを支え、ベスト16戦士の1人になったのは紛れもない事実。激しい浮き沈みを経験してきたからこそ、10代の若者たちを育てるに当たって、成長を視野に入れながら、あえて厳しい対応をすることもある。時には「もっと集中して」「ちゃんとやって」と感情を込めることもあるという。

「指導する立場になってから、練習からしっかりと立ち合って、選手たちをつねに見続けることがすごく大事だと思います。『練習はウソをつかない』とよく言いますけど、確かにそのとおりなんです。僕が南アの前に岡田さんから外されたのも正当な評価。当時はものすごく悔しかったけど、練習からアピールして評価を引き上げるしかないと考えてがむしゃらに取り組みました。今の僕はまだ岡田さんみたいな“勝負師”にはなれていない。指導対象がユース年代だからというのもありますけど、ホント、まだまだです(笑)」

ただ、ユース年代とはいえ、サッカーには絶対に勝たなければいけない局面がある。PK戦にもつれ込むケースも起こりえるだろう。南アで岡田監督は彼に対してとくに何も言わなかったようだが、駒野監督はどのような言葉を選手にかけるのだろうか。

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