「彼は偽りを言った。私は辱められました」 松平定信が親友だった大名と縁を切った彼らしい理由
見兼ねた本多忠籌や戸田氏教が、信亨に注意すると、彼は「この後は行いを正し、直言をいう友を得て、心の修行をしよう」と言ったようです。改心宣言をしたのです。
そんな経緯があったからでしょう、松平定信と信亨は元来からの親友ではありませんでしたが、本多忠籌が定信に信亨を紹介しようとしたのです。
本多忠籌にしてみたら、英邁の誉れ高い定信と信亨が友となれば、信亨にさらに良い影響を与えるのではとの思いがあったのでしょう。
忠籌によれば「信亨も定信と交流したいと言っている」とのこと。
そのとき、定信は「私は不才であり、人の益とはなりません。しかし、私のほうから交わりを禁じるという理由もないので、信亨朝臣の望みに任せたいと思います。
だが、今後、信亨が再び風流家の徒となったならば、私はよく諌めます。諌めて聞き入れなければ、すぐに絶交します。この事もよく伝えておいてください」と忠籌に伝達したようです。
定信の言葉を聞いた信亨は大いに喜んで、その後、両者は交流を深めます。信亨は定信をすっかり信頼し、賞罰や経済、出入りのことまで、定信に相談したこともありました。
定信は信亨に訓戒の言葉などを書状にて送っています。それを信亨は大いに感謝。
2人(定信と信亨)の関係は非常に良好でした。本多忠籌も「信亨朝臣は、真の人となった」と喜ぶほどでした。
「信亨は鳥を好む」という噂が定信の耳に入る
ところがあるとき、信亨の不穏な噂が定信の耳に入ってきます。「信亨は鳥を好む。それも奇鳥珍禽を求めている」という風聞です。定信は初め、その噂を信用しませんでした。ところが、そのうちに(移り気の信亨ならば、もしや)という心が芽生えてきます。
よって、信亨に会ったときに「こういう噂があるが、そのようなことはないとは思っている。今は衣食のことさえ、質素にしなければならない時。珍禽など求めることはどうであろう」と直接聞いてみるのです。
すると信亨は「世間にはいろいろなことを言う者がいる。衣食のことを慎ましやかにしていることは、君も知っているだろう。どうして鳥など買おうか」と疑惑を否定したのでした。
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