「個人の権利」と「社会の利益」、この2つがぶつかったらどちら選ぶか?そして、あなたが当事者ならどうするか?という究極のジレンマ

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総理は「全体の利益よりも、まず考えるべきは個人の権利である」という考えだ。その一方で国防大臣は、「全体の利益を考えるべきだ」と主張している。このように2つの立場、考え方が対立してしまうと、「会議を開くべきではなかった」と感じることになるかもしれない。

例2 臓器移植のジレンマ――「君の臓器が欲しい!」

Zさんは20歳の健康な青年だ。Zさんの村には10人の病人が住んでいる。彼らは幼い子どもから老人までと、さまざまな年齢とそれぞれちがう病気である。命の危険がある人もいるし、そうでない人もいる。

ある日病人たちは、自分たちの病気に対して完治する可能性と、医学的な根拠がある治療方法を偶然見つけた。Zさんの臓器を取り出して移植すれば、10人全員が完治するというのだ。もちろん、Zさんは死んでしまうけれど。

村の住民がZさんに会いにきて言った。

「君の臓器が欲しいんだけど……」

Zさんは答えた。

「ハァ? 何を言っている? 臓器には僕の魂がこもっているし、約20年、僕といっしょに育ってきた器官たちだ。僕の臓器には、僕の誠意と努力と時間のすべてがかかっていて、これからの人生にも必要だ。ありえないことを言わないでくれ」(281〜282ページより)

さて、この場合、Zさんを犠牲にするのは妥当だろうか?

全人類の教養大全1
(画像:『全人類の教養大全1』より)

もちろん作り話なのだから、現実味がないと感じるかもしれない。とはいえ現実的に、こうした二者択一を迫られる機会は起こりうるものだ。しかも、個人の権利(個人主義)と社会の利益(集団主義)がぶつかる以上、どちらかを選択しなければならないのである。

一般的に多い答えは、例1に関しては「ダムを破壊してA市を救う」、例2では「Zさんから臓器を摘出してはいけない」というものだろう。

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