
ほとんどの人は「教養」の解釈が間違っている
会話や意思疎通に必要なのは言語ではない。共通項だ。そして人類の共通項は、僕がまだよく知らないだけですでにそこにある。いまここにいる僕と皆さんだけでなく、過去や未来の人びとまでもいっしょに、すべての人が持っている共通項。僕たちはそれを「教養」「人文学」と呼ぶ。
これは非常に説得力のある主張だ。「クラシック音楽を聴きながら優雅に紅茶を飲むような」という表現がわかりやすいものであるかどうかは別としても、日常のコミュニケーションにおいてはそういった“ちょっと使える知識”は役に立つからだ。
もちろん、各人が持っている専門的な知識も必要不可欠なものではあるに違いない。しかしそれらは、日常会話ではあまり役に立たなかったりもする。それどころか、カジュアルな会話のなかにいきなり専門的なノウハウをぶち込まれたりしたら、相手から抵抗感を持たれてしまっても無理はない。
だからこそ、著者がいう“奥深い大人のコミュニケーションゲーム”に役立つ「教養と人文学という人間の英知」が意味を持つのである。本書は、そうした考え方に基づいて書かれている。
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