「個人の権利」と「社会の利益」、この2つがぶつかったらどちら選ぶか?そして、あなたが当事者ならどうするか?という究極のジレンマ

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全人類の教養大全1
99%の人は幸せ、でもあなたは納得がいかない(写真:desidesidesi/PIXTA)
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たとえ同じ言葉を話していたとしても、生活様式や与えられた環境、個人の経験などが異なっていれば、お互いのことを理解できないこともある。ビジネスシーンにおいて意見の食い違いが生まれたりするのも、そういった事情が絡んでくるからだ。
では、そういった事態を避けるためにはなにが必要なのだろう?
この問いに対して、『全人類の教養大全1』(チェ・ソンホ著、キム・セヨン訳、東洋経済新報社)の著者はどう答えるか。

ほとんどの人は「教養」の解釈が間違っている

会話や意思疎通に必要なのは言語ではない。共通項だ。そして人類の共通項は、僕がまだよく知らないだけですでにそこにある。いまここにいる僕と皆さんだけでなく、過去や未来の人びとまでもいっしょに、すべての人が持っている共通項。僕たちはそれを「教養」「人文学」と呼ぶ。

教養とは、クラシック音楽を聴きながら優雅に紅茶を飲むような、そんなものじゃない。教養と人文学とはつまり、「幅広くて浅い知識」だ。(「プロローグ 『自分』が生きている世界のしくみを知る方法」より)
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これは非常に説得力のある主張だ。「クラシック音楽を聴きながら優雅に紅茶を飲むような」という表現がわかりやすいものであるかどうかは別としても、日常のコミュニケーションにおいてはそういった“ちょっと使える知識”は役に立つからだ。

もちろん、各人が持っている専門的な知識も必要不可欠なものではあるに違いない。しかしそれらは、日常会話ではあまり役に立たなかったりもする。それどころか、カジュアルな会話のなかにいきなり専門的なノウハウをぶち込まれたりしたら、相手から抵抗感を持たれてしまっても無理はない。

だからこそ、著者がいう“奥深い大人のコミュニケーションゲーム”に役立つ「教養と人文学という人間の英知」が意味を持つのである。本書は、そうした考え方に基づいて書かれている。

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