鬼平の意外な実像 「長谷川平蔵」が役人からは嫌われて、庶民からは喝采を浴びたワケ

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イメージ(写真:オリバー / PIXTA)
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NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第35回は、寛政の改革期に火付盗賊改を務めた長谷川平蔵について解説する。
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吉原に入り浸った「本所の銕」(ほんじょのてつ)

池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』のモデルとして知られている、長谷川平蔵宣以(はせがわ へいぞう のぶため)。

NHK大河ドラマ「べらぼう」では、歌舞伎俳優の中村隼人が「吉原でカモにされる金持ちの坊ちゃん」として若き平蔵を演じたが、最近の放送回では火付盗賊改としての見せ場も増えてきている。実際にはどんな人物だったのか。

長谷川平蔵は延享2(1745)年に築地湊町の拝領屋敷で、中級の旗本の家に生まれた。

父の宣雄は金儲けのセンスがあったらしく、巨額の蓄財を残した。平蔵が3歳のときに父は400石の家督を継承。西の丸御書院番から小十人頭になると、南本所三之橋通(現・江東区菊川3丁目)に、元幕府の馬医から広い馬場も含む1238坪の広大な屋敷を手に入れている。

その後、宣雄は先手弓頭となり、明和8(1771)年に火付盗賊改加役に任ぜられると、翌年の明和9(1772)年3月には本役になっている。

平蔵はそんな父の背中を見ながら育ち、また才覚も引き継いだようだ。父と同じく、火付盗賊改加役につくことになる。

だが、若い頃は、吉原や深川の岡場所に入り浸っては、父が蓄財した金銀を使い果たした。幼名が「銕三郎(てつさぶろう)」で、父が買った広い屋敷が本所にあったことから、ついたあだ名は「本所の銕(ほんじょのてつ)」。

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