大河ドラマ「べらぼう」では、女性にめっぽう弱いお坊ちゃんキャラとして描かれているが、実際も放蕩息子だった。親も息子の将来をさぞ心配したことだろう。
男前が多かった「進物番」から「火付盗賊改」へ
平蔵の父・宣雄は明和9(1772)年2月に起きた「明和の大火」で、火付盗賊改加役として活躍。放火犯を捕まえるという功績を残したことで、京都町奉行に栄転することになった。
すでにその頃、妻子がいた平蔵は、父とともに家族で京都に赴いている。だが、翌年6月に父が急死。平蔵は再び江戸に戻り、29歳で家督を相続している。「平蔵」という通称を使ったのは、これ以降のことである。
小普請入りとなった平蔵は、安永3(1774)年に父と同じく、西の丸御書院番の番士となった。江戸に戻ってもしばらく遊び癖が直らなかったようだが、この番入りを機に放蕩はおさまったとされている。翌年に進物番(しんもつばん)の役に就いている。
時代としては、平蔵が家督をつぐ前年、明和9(1772)年に田沼意次が老中となっている。田沼時代の本格的な幕開けとともに、平蔵は新たな人生をスタートさせたといってもよいだろう。
大河ドラマ「べらぼう」では、進物番を務める平蔵が自身の職場環境について「人の噂や悪口ばかり」と意次に愚痴をこぼし「西の丸を出たい」と訴えるシーンがあった。何でも「親の七光りだ」とバカにされたり、小さなミスを指摘されたりする毎日に、平蔵はついにキレてしまい、こう言ったのだという。
「てめえら、そんなに進物番になりたきゃ、男前に生まれ直してきやがれ」
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