加えて、出店エリアを駅前だけでなく、郊外や地方に拡大したことが大きかった。車社会が根付く郊外では、「20台前後を収容できる駐車場付」という出店の方程式もあった。
2002年の道路交通法改正以前は、飲酒運転の基準値や罰則も緩く、呼気中のアルコール濃度が0.25mg/L(成人男性が缶ビール350mlを飲んだ直後とされる)以下であれば処分が軽度だった。特に、車文化が根付く田舎では、手頃に飲食を満喫できる居酒屋は、ファミリーレストランの代わりとしても重宝された。運転代行やハンドルキーパーの取組を推し進めながら、全国各地で出店ペースが加速した。
フランチャイジーからしても、初期投資と立地条件さ押さえれば、維持費を圧縮できるビジネスモデルは魅力的だった。とりわけ賃料の低い郊外では、30~40坪の中型店でも、月商250万円程度で、利益を生み出せる店舗も珍しくなかった。
応募が殺到して店舗数が急増
こうした参入障壁の低さゆえ、飲食未経験者からの応募が殺到したことも、爆発的な店舗増につながった。
谷酒氏によれば、当時は異業種からの“脱サラ”組が、一念発起を夢見て参入したという。たちまち経営に成功すれば、身内や知人に紹介し、加盟させるパターンが顕著だった。なかには自身で多店舗を経営しつつ、かつ紹介した親類もまた同程度展開しているケースも見られたそうだ。
「個人オーナーの前職は、銀行員から保険のセールス、タクシー運転まで多岐にわたりました。また会社の経営層が、副業の先駆けのようなサイドビジネスとして参入するパターンも。職種にかかわらず、当時珍しかったフランチャイズビジネスを学んで成功したい方が多かったのでしょう。
またバブル崩壊後は、本業に行き詰まった人の受け皿として機能したことで、不景気でも店舗拡大が続きました。その頃は、転職や副業を特集する雑誌も目立ち、世間的に副業への関心も高かったのでしょう」(谷酒氏)
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