一方、盛況が続くことで、現場スタッフの負担も大きく、新店開業のための人材育成に投資を回せない悲鳴も上がっていた。つまり、店舗展開は頭打ちの状況だった。100店舗の大台を達成したものの、社内からは「これ以上社員に負荷はかけられない」と風当たりも強くなった。
そこで、創業者の木下藤吉郎は、かつてアメリカを視察した記憶を思い起こす。すでに現地では、数百店舗を展開するチェーン店が先行していた。現地の光景を目の当たりにした木下は、国内でも均一化されたオペレーションや研修制度を社外の人間にも提供すれば、「1000店舗まで拡大が可能だ」と風呂敷を広げる。
そして1966年、板橋にFCの第1号店が開業。「ファミリーチェーン」と称して、現在のフランチャイズ方式と同様のスキームで、一般応募で開業を募った。以降、多くて年間100店舗以上の驚異的なペースで出店を果たし、1970年代半ばには1000店舗を達成した。
創業当時のロイヤリティーは月3000円
ここまで規模が広がったのは、好景気で競合が少なかったことが大きい。
ただ、養老乃瀧取締役副社長の谷酒匡俊氏の話を聞くと、時代的な背景とは異なる角度から、出店ラッシュの背景が浮かんできた。
それが“ロイヤリティーの破格さ”だ。FCビジネスを始めた1966年当初、養老乃瀧が加盟店に課したロイヤリティーは月3000円だったという。現在の居酒屋チェーンのロイヤリティーの相場を見ると、売り上げ歩合型で約5%、固定型で月10万円程度に落ち着く。いかに当時の養老乃瀧が型破りだったかがうかがえる(ちなみに現在のロイヤリティーは上限月5万円)。
谷酒氏は「当時は業績も絶好調で、本部の経営資金も潤沢だったうえ、まだロイヤリティーをいくら徴収すべきかの基準も定まっていなかった。加盟店の負担をかけて本部が潤うよりも、ロイヤリティーを廉価にして出店網を広げ、収益を上げていきたいと考えていたのでしょう」と振り返る。
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