「怖いくらい人が来なかった」…上野まで8分、知る人ぞ知る「長屋が残る街」。多くの個人店が廃業、チェーン店に変わった街の“実情”

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「やっぱり交通の便がいいことじゃないかな。京成線を使えば上野まですぐだしね。千代田線の町屋駅ができてからは表参道やなんかも一本で行けるようになった。

この駅ができてすぐのころに店を継いだんですよ。実は親の代までは“のんき屋”だったんです。でも、子どもの頃に、お前は“のん気なのんきや”だってからかわれてたから、私の代になってから“乃ん喜庵”に名前を変えたの。そんなこと全部がいい思い出だね」

荒川区立第九峡田小学校
斎藤さんが通った荒川区立第九峡田小学校(筆者撮影)

「昔は活気があった」

古くからやっている店に話を聞くと、必ず出てくる言葉だ。今回歩いた町屋界隈もその例に漏れない。街の活気と住みやすさは必ずしもイコールではないと思う。実際、町屋の駅周りはにぎやかだ。要するに住民のライフスタイルが変わったわけだ。

買い物は駅の周りでさっと済ませ、住宅街に帰っていく。至極合理的だ。かつては街のさまざまな機能が面として広がっていた。住宅街の中に商店街や個人商店があり、地域の人たちはそれをはしごするように買い物をしていた。店主や客同士の会話があり、近所付き合いも今よりは濃厚だった。

長屋と林立するビルと…

町屋の周辺、荒川4丁目あたりを歩いていると、今でも古い長屋を見ることができる。そこから駅方向に目を向けると、林立するビルが見える。眺めながら、「活気ってなんだろう」と考え込んでしまった。

サンポップマチヤ
町屋に立つショッピングセンター「サンポップマチヤ」(筆者撮影)

辞書を引くと、「活気」とは「いきいきとした気分。生気。(小学館大辞泉)」なのだそうだ。

街の活気は人がつくる。そこで生活している人たちが、出歩いて言葉を交わし、街を利用し、街を介して交流することで活気は生まれる。しかし、首都圏を歩いていても、そうしたつながりを失った地域が増えているように感じる。

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