「怖いくらい人が来なかった」…上野まで8分、知る人ぞ知る「長屋が残る街」。多くの個人店が廃業、チェーン店に変わった街の“実情”

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この駅が開業したのは1913年(大正2年)のことで、当時は「稲荷前停留所」という名称だったらしい。

その後、1931年(昭和6年)に京成電鉄の「町屋駅」が開業し、1969年(昭和44年)に千代田線の「町屋駅」が続いた。

荒川区町屋
3つの電車が交差する町屋(出典:国土地理院)

千代田線町屋駅のすぐそばにある、創業1947年「雪月花 乃ん喜庵(荒川区荒川6-5-4)」は、和菓子を中心に扱う地域の人気店だ。ご主人・斎藤全弘さんはこう話す。

雪月花 乃ん喜庵
「雪月花 乃ん喜庵」の斎藤全弘さん(筆者撮影)
雪月花 乃ん喜庵
「雪月花 乃ん喜庵」の店内(筆者撮影)

「私は昭和18年(1943年)生まれだから、今年で82歳。戦争中は家族で埼玉県のほうに疎開していたんだけど、戦争が終わって2年くらいしてこっちに戻ってきた。私が4歳の頃だね。そのころから店はある。

一応創業は昭和22年ということだけど、両親によると、戦争が大変になる前からやっていたって話だから、100年くらいにはなるんじゃないかな」

斎藤さんが語る、昔の町屋

物心がついてからは、ずっと町屋で暮らしていることになる。小学校は店のすぐ裏にある「荒川区立第九峡田小学校(荒川区荒川6-8-1)(1939年創立)」に通った。

「当時は子どもが多くてね。近所でビー玉、メンコ、竹馬、石とびなんかをしてみんなで遊んでましたよ。このへんは長屋が多くて、路地で遊んだもんです。

町工場もたくさんあってね、商店街も活気があった。魚屋、八百屋、タバコ屋、なんでも揃ってた。最近はチェーン店が増えて、昔からの店はあんまり残ってないね」(斎藤さん)

街の住みよさを聞くと、斎藤さんは「うーん」と考えながら、次のように答えた。

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