「こんな普通の田舎料理が」と批判されたが…。過疎の無人駅で売れ続ける「名物駅弁」。心無い声にもめげず《九州駅弁グランプリ》4冠の舞台裏
平日の火水木金は総菜の移動販売を続けて、土日のみ嘉例川駅で弁当の販売をすることにした。
なかなか売れない時代も……
2004年4月28日から土日の嘉例川駅での駅弁の販売を開始。しかし、なかなか売れない日々が続いたという。
嘉例川駅の駅舎は霧島市の管轄だったが、敷地はJR九州のもの。駅構内での弁当の販売にあたって、どちらに申請を出し、どちらが許可を出すのかの調整に時間がかかった。
そのため、当初は駅構内ではなく、駅舎を出て数十メートルほど歩いた先にある農協の倉庫の前で販売をすることに。弁当がまだ知られていないことに加えて、立地も悪かったため弁当は売れなかった。


支えてくれたのは、お弁当にも使っているしいたけ農家・松下実雄さんの奥さんさえ子さん。駅弁販売の日は応援に通ってくれ、励まし、賑やかしてくれた。それでも売れ残る日ばかりで「今日も売れないからお昼ごはんに食べるが」と2人一緒に駅弁を食べて過ごした。

売れない時代の駅弁販売で、忘れられない思い出があるという。2005年の1月、雪が降る冷え込む日のことだ。
「最終の『はやとの風』が停車した際、ホームに持っていき『お弁当いりませんか』と声をかけたんです。そしたらスーツを着た男性が降りてきて『お姉さんたちはそのお弁当が売れないと帰れないの?』と声をかけてくれました。おそらく社員旅行だったのか一緒に乗っていた人たちと10個くらい全部買ってくれて、それがどんなにありがたかったか」
「はやとの風」の客室乗務員たちとの交流も思い出深い。駅構内での販売許可には時間がかかったが、「はやとの風」の車内販売の方が先に始まった。これには客室乗務員たちの協力があった。
ある日、売れ残った駅弁ひとつを客室乗務員に「車内で食べてみてください」と手渡したところ、そのたったひとつの弁当を、その日いた10人くらいの客室乗務員全員で分け合って試食をしてくれた。弁当のおいしさを知った彼女たちの一押しで、その後すぐ車内販売につながる。
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