「こんな普通の田舎料理が」と批判されたが…。過疎の無人駅で売れ続ける「名物駅弁」。心無い声にもめげず《九州駅弁グランプリ》4冠の舞台裏
まゆみさんは小学校の用務員、給食センターなどを経て、2002年にお惣菜の製造・販売を始めたという。地元の朝市で総菜を売ったら好評で、「うちの施設にも売りに来てほしい」と声がかかったのがきっかけだ。始めるにあたり、厨房設備を建てようか悩んだが、「大きな設備投資は大変だから」と知り合いのラーメン屋が貸してくれたという。
総菜は口コミで広がっていき、一日の販売先は10件程度まで増えていく。「営業はしていないです。お声がけいただいたところだけ行くようになりました」とまゆみさん。
当時の相棒はダイハツのタント。前にエンジンがついていることから、惣菜を並べる後部シートが熱くなりにくいのが良かった。後部シートをフラットに倒して、お総菜を並べて、ひとりで売り歩いた。ハンバーグや唐揚げなどが人気だったという。
そして独自に総菜販売を始めて2年後、2004年にコンペ用に駅弁を作った。中身は今とほぼ同じだ。
「お声がけいただいて参加しましたが、行ってみたらプロの料理人の作ったお弁当も並んでいて……。あんまり恥ずかしいから思わず『帰ります』っていったほどです」
辞退しようとする山田さんを審査員が引き止め、コンペの結果、山田さんの弁当に決まった。
決め手は、ここでしか食べられない郷土の味であったこと。
弁当に入れた炊き込みご飯やガネ、みそ田楽はまゆみさん自身が昔から食べてきた母の味であり、ご近所さんから教わった味であり、暮らしの中に存在する等身大のものだった。「特別なごちそうは旅館やホテルで食べられるから」と、地元の家庭の味であることが支持されたのだ。

おばあちゃんが食べさせてくれる味を
弁当屋に勤めていたわけでもない。独自に始めた総菜販売から、有名な観光列車の駅弁販売をすることに戸惑いもあったという。
ただ、作るからには「都会育ちの人でも、田舎に帰っておばあちゃんが『おかえり』とごはんを食べさせてくれたようなあたたかい思いになるお弁当を」と、込める気持ちを大切にしていた。
弁当箱に竹皮を選んだのは、駅の歴史に思いを馳せてのことだという。
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