出来栄えに喜んだ問屋が、店先に北斎作の看板を飾ると、たまたま通りかかった兄弟子が「こんなものを掲げていては、師匠の恥を掲げているようなものだ」とあざ笑った。そして北斎の目の前で、看板を引き裂いてしまったというのだ。
北斎はこのときの屈辱を胸に「世界一の画工になる!」と密かに決意したという。結果的に北斎を大きく育てることになった、この乱暴な兄弟子の名は勝川春好(かつかわ・しゅんこう)といった。
そして、葛飾北斎や兄弟子・勝川春好が師匠としたのが、大河ドラマ「べらぼう」で存在感を放っている浮世絵師の勝川春章(かつかわ・しゅんしょう)である。一体、どんな人物だったのか。
「役者絵」で一躍有名になった勝川春章
勝川春章は享保11(1726)年に医者の子として生まれた。浮世絵師の宮川春水(みやがわ・しゅんすい)に師事し、のちに「勝川派」を創設して独立を果たす。始めは画姓を「宮川」としたが、のちに「勝宮川」「勝川」「勝」などとした。
春章が30代後半から40代頃に精力的に手がけたのが、歌舞伎役者を描いた「役者絵」である。
当時、役者絵は、鳥居清信(とりい・きよのぶ)を始祖とする鳥居派が数多く手がけていた。清信の父・鳥居清元が歌舞伎役者の道を諦めて、看板絵を家業としたことから、息子の清信の才が育まれることとなった。
清信は役者の引き締まった筋肉を強調した「瓢箪足(ひょうたんあし)」や「蚯蚓描(みみずがき)」といった手法を考案。鳥居派の基礎を築いている。
そんなふうに役者絵といえば、鳥居派による類型化されたポーズや構図が主流とされるなかで、春章はリアルに役者の顔を描く「似顔絵」という新ジャンルを切り拓いて、注目される。
これまでの鳥居派の役者絵では、全身の様子はありありと伝わってきたが、顔の区別はあまりつかず、読者はお気に入りの役者の顔を想像するほかなかった。
それだけに、 春章が本人そっくりな似顔絵を描いたことは、観る者に大きなインパクトを与えたようだ。また、顔だけではなく、衣装の細かい模様や背景にもこだわりながら、春章はよりリアルな役者絵を追求していく。
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