春章による似顔絵は、いわば「プロマイド」として歌舞伎役者のファンを喜ばせると当時に、歌舞伎役者にとっても、自分のファンを増やすための格好の販促物となったようだ。
5代目市川團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)や3代目瀬川菊之丞(せがわ・きくのじょう)といった看板役者からもオファーを受けるようになり、春章はその名を馳せることとなった。
力士の似顔絵でも大ヒットを飛ばした
歌舞伎役者の似顔絵が売れるのならば、あの人気者たちの似顔絵もきっとニーズがあるはず……。
そんなふうに考えたのだろう。春章は歌舞伎と同じく庶民の娯楽として人気があった「相撲」に注目。力士の似顔絵を描いたところ、またもや大ヒットとなった。
美人画にも優れた春章は、安永5(1776)年には、北尾重政(きたお・しげまさ)との合作で『青楼美人合姿鏡』(せいろうびじんあわせすがたかがみ)を刊行。プロデュースしたのは、蔦屋重三郎だ。
大河ドラマ「べらぼう」では、その制作過程も物語化されていたが、『青楼美人合姿鏡』の特徴は何と言っても、色鮮やかなカラーの錦絵を集めて豪華なカラー本としたことである。
錦絵とは、多色で刷られた精巧な木版画のこと。明和2(1765)年に浮世絵師の鈴木春信(すずき・はるのぶ)が絵暦(えごよみ)で試みたのが錦絵の最初とされている。
春章も大いに刺激を受けて、腕を磨いたらしい。明和7(1770)年には、浮世絵師の一筆斎文調(いっぴつさい・ぶんちょう)と春章は、合作で初の多色摺り役者絵本となる『絵本舞台扇』 (えほんぶたいおうぎ)を刊行。扇面に役者の似顔を描くという手法は、春章の「東扇」のシリーズを生み、前述したように役者絵で大人気を博すこととなった。
新しい手法を自分のものにして、新境地を開拓する。北斎が弟子入りしたのは、春章のそんな貪欲な姿勢に共鳴したからかもしれない。
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