日本の大学入試改革は、なぜ迷走するのか 具体性のない「マジックワード」は危ない

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現在、皆さんにもなじみのある大学入試の制度(高大接続)が抜本的に変更されるという改革が進められている。これは、戦後の教育改革の中でもひときわ大きな改革だ。ニュースで取り上げられるたびに、さまざまな問題点が指摘され、議論を呼んでいる。

この改革を考えるにあたり、ここでは特に、1980年代の臨時教育審議会(臨教審)以降、教育改革が迷走を続けている根本原因のひとつとして存在し続けている、教育政策議論の中の「マジックワード」にフォーカスしていきたい。

さて、たとえば「子供たちの未来のために、自分らしく生き、自ら考え行動できるような教育を提供します」という目標が掲げられたとする。異論を唱える人はあまりいないだろう。いかにも標語らしい言葉だし、将来の夢として発表すれば「はなまる」だってもらえるはずだ。しかし、「どうやって実現するのだろうか?」と問われて、すぐに実行に移すことができるプランを出せる人はそういないだろう。

聞こえはいいが具体的に何をするのかわからないこういった言葉を、マジックワードと呼ぶことにしよう。マジックワードは基本的に心地よい。合意形成のときには大きな威力を発揮するので、使い方によっては文字どおり「魔法」のような力を持つ。ちなみに、現在、行われている政策議論の中でもマジックワードはしばしば使われているのだが、具体性がないため、これが幅を利かせるほど議論自体は空転しがちになる。

戦後日本の教育政策の基本は「教育機会の均等」

教育政策におけるマジックワードの歴史は、実は1980年代にさかのぼることができる。

ここでいったん、日本の教育政策の流れを大まかに紹介しよう。まず、戦後日本の教育政策が目指した方向は、教育機会の均等である。当時は地域によって、教員の数と質(資格の有無)、授業数、クラスサイズ、施設が不均一であり、東京の中心街と僻地では教育の機会が大きく異なっていた。

このような状況を打破するため、文部省はそれら不均一なものに最低確保ライン(これのような状態は避けるべきというネガティブリスト)を設け、統一的な教育政策を施行した。教育関係組織からは「現場の判断に任せるべきだ!」「画一的で古い教育だ!」という批判が絶え間なく行われたが、社会の状況を鑑みると、現実的な政策だった(たとえば、苅谷剛彦『教育と平等: 大衆教育社会はいかに生成したか』(中央公論新社、2009年)などに詳しい)。

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