日本の大学入試改革は、なぜ迷走するのか 具体性のない「マジックワード」は危ない

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1980年代に端を発する教育改革以来、知識や技能と思考力を切り離す傾向が出てきている。しかし、論を組み立てることとは、形の定まっていないパズルのピースに形を与え、つなぎ、ひとつのストーリーなり絵を描いていくことだ。そのピースはほかならない「知識」であり、技能を用いて得られた「根拠」である。

たとえば、私が大学で提出したリポートに対して、恩師が「君のリポートは個性的で想像力にあふれている」とコメントした場合、これは褒め言葉ではない。暗に「君の言っていることは根拠もなく荒唐無稽である」と言われているのである。人格における個性、想像力と、教科や学問におけるそれらは同じではない。日本の入試を受けてきた者の個人的な見解になってしまうが、数学や理科などの問題は論理的思考力がなければ解けないし、問題を解く順番や入試戦略を立てるにあたっての判断力がなければ、高得点は取れない。論理的でない思考力や判断力を鍛えたいのであれば、話は違ってくるが。

アクティブラーニングを全国展開して大丈夫か?

今、教育界では、思考力・判断力・表現力を育成する方法として、アクティブラーニングなるものがブームとなっている。生徒が能動的(アクティブ)に考えることができるよう、教師が授業を活性化させて、生徒の意見を引き出し、思考力を深めるというものである。わかりやすい例として、ハーバード白熱教室のようなものをイメージしてほしい。とてもすばらしい授業スタイルのように思える。オックスフォードで私が受けた授業も、もっと少人数制だったが、この部類のものだった。

しかし、あの放送では、授業の最も重要な部分を放送していない。それは、猛烈な議論に必要な、授業前のピースの詰め込みである。オックスフォードでは週に5コマほどしかなかったが、授業の前の膨大な読書のため、遊ぶ暇はなかった(ちなみに日本の大学は授業量が多すぎて内容が薄くなる)。ケンブリッジ時代も、バレーボール部の試合にさえ、チームメートたちが本を複数冊持参し合間に読み込んでいたのを鮮明に覚えている。「こういう授業いいな~。こういう授業受けたい」と言うなら、本当の意味での授業の全貌を知ってほしい。たぶん、嫌になる。

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