思わず「好喝(ハオハー)……」(おいしい、の意)とつぶやいたら、廷瑀氏がうれしそうにほほ笑んだ。
「ありがとうございます。残念なことに、最近の台湾ではお茶を飲む若い人が減っています。私が故郷に戻ってきたのは、『このままでは故郷の風景がなくなってしまう』と思ったからです」
台湾茶の衰退に直面した「娘」の危機感
実は、若い世代では、「お茶は古くてダサい」と、コーヒーを好む人が増えている。
「茶園は私にとって故郷の原風景。私たちの世代がなんとかしないと、このままでは茶園がなくなってしまう」。廷瑀氏が故郷に戻って家業を継ぐことを決めたのは、こんな危機感からだった。
台湾茶は1980年代に世界各地でブームを巻き起こした。ところが、2000年代に入ると状況が変わり始める。
台湾は2001年11月のWTO(世界貿易機関)ドーハ閣僚会議で加盟が承認され、翌年1月1日にWTOに加盟した。すると、それまで25%だった茶葉の関税は、段階的に17%にまで引き下げられた。これにより、ベトナムなどから安価な茶葉が大量に流入するようになった。
いまや台湾で消費される茶葉のうち、8割は輸入茶葉だ。
また台湾政府は1999年の「921大地震」以降、噛みタバコの檳榔(びんろう)からコーヒーへの作付け転換を推奨しはじめた。この転換は人々の健康を守り、かつ土砂災害対策もできる一石二鳥の政策だった。こうして台湾では徐々にコーヒー栽培が盛んになっていく。
外国産の茶葉が増え、コーヒーが生活に浸透した結果、若者の茶離れが進んだ。台湾の茶栽培面積は1998年の20万ヘクタールから、2023年には12万ヘクタールにまで減少した。
故郷に戻った廷瑀氏は、同世代にもお茶に親しんでもらいたいとの思いで、1年の歳月をかけて味とパッケージデザインを開発した。
「現代人はストレスを感じることが多い。お茶からフルーツのような香りがふわっと漂ってきたら、心も体もリラックスできるのではないか。お茶の苦味や酸味を引き出したら、コーヒーが好きな人にも受け入れられるのではないか……。そう考えて、たくさんの味を開発してきました」(廷瑀氏)
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