台湾・李登輝元総統の「対日工作」を担った大物 現在の日米台間の協力体制の基礎をつくった男

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2001年4月、中国からの強い反発を受けながらも、関西国際空港に到着し、出迎えの人から花束を受ける李登輝・元台湾総統(左)と曽文恵夫人(写真・共同)

「民主化の父」「親日の偉大な政治家」として、今も日本にファンの多い台湾の故・李登輝総統。しかし李の命を受け「札束の力」によって対日工作が展開された史実を知れば、クリーンイメージは虚像とわかる。その李の命を受け諜報活動に当たった黒幕がこの10月、88歳で息を引き取った。

日本と台湾の民間交流窓口「亜東関係協会」の彭栄次・元会長。橋本竜太郎元首相をはじめ日本政官界の中枢人脈を篭絡した彼の諜報活動の一端を振り返る。

「明徳小組」の責任者

彼と初めて会ったのは、筆者が共同通信の初代台北支局長として台湾に赴任する直前の1998年夏。台北のホテルで開かれた講演会で会い、しばらく話をした。

ビックリしたのは、中国語的なイントネーションがまったくない完ぺきな日本語だけではない。国際政治、経済についての豊富な知識と分析力に舌を巻いた。その後も彼とは定期的に会って取材し、2002年に台湾から帰任後も、時には電話を交えて、緊密に連絡を取り合った。

彭は台湾大学経済系を卒業後、金融機関勤務を経て「台湾運輸機械公司」に入った。2009年には亜東関係協会会長に就任したが、それは「表の顔」に過ぎない。李登輝側近として1994年から2000年にかけ、日米台3者の連携を強化するための諜報機関「明徳小組」の責任者の活動にこそ、彼の真骨頂がある。

「明徳小組」の秘密活動は2002年3月、台湾の週刊誌『壱週刊』と『中国時報』、香港紙『星島日報』がスクープした。活動目的について壱週刊は「軍・情報系統を通じてアメリカ、日本との実質的な関係、台米日三者をつなぐ秘密パイプをつくること」と書いた。

壱週刊によると、日本側メンバーには橋本龍太郎氏が首相退任(1998年7月)後に加わったほか、自衛隊「統合幕僚長」、内閣情報調査室長、公安調査庁および警視庁長官(経験者)など、軍・情報のトップクラスが入った。

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