日本の江戸時代のすばらしさは、飢饉も貧困もひどかったから、理想的とは言えないが、社会的階級、貧富の差が大きくとも、精神的な豊かさ、町人文化に代表される文化的豊かさ、生活の知恵、楽しみが、それぞれの階級においてそれぞれ享受されていた。いや、その力を庶民の多くが持っていたことにある。
そういう社会こそ豊かな社会だ、と言いたいが、それに賛同が得られなくとも、貧すれば鈍する、とならないような人間に育てることが、教育なのだ、という持論は何があっても譲れない。
リベラルアーツ重視で「日本をデザインする人材」を
「小幡の主張は、理解はするが、それは現実的ではない」、という意見があるだろう。そこで、次回は、現実的な提言をしたい。ひとことでいうと、教育と職業訓練の2つを明示的に区別し、それぞれの教育と人的投資を充実させることである。
端的な例を挙げれば、今の大学を、リベラルアーツを中心として、高度な教養人を育てる。本来の意味での高等教育と、バイオ、ハイテク、AIそれらなんでも、職業上のエキスパート(専門家)を作るルート、現在の高等専門学校での領域を大幅に拡大し、その後、専門家として大学院に進むルート(現在でもこのコースは存在するが)を量的質的に大幅に拡充する。そして、これらを相互に往復することもできるであろう。
こういうと、結局、今の世間の議論と大きな違いはないように感じるかもしれないが、この場合、本当に重要なのは、徹底したリベラルアーツの教育のほうなのである。
彼らこそが、日本社会の未来を拓くデザイナー(インフルエンサーではない)になる人材の層であり、日本の文化を発展させる国家の最重要の担い手となるのである。残念ながら、この視点は、おそらくこのままでは、日本社会から消滅していくだろう。そして、それが日本を滅ぼすことになるのだ。
それを何とかするために、具体案を次回述べたい(本編はここで終了です。この後は、競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
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