憲法と教育の視点で見る「日本の教育」のねじれ 木村草太さんと内田良さんの対談から考える

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内田良 木村草太
(左)内田良さん(右)木村草太さん(撮影:後藤利江)
「教育と憲法」の関係性から、今まさに劇的な変化が進む教育現場には、どのような処方箋を差し出すことができるのでしょうか。東京都立大学大学院法学政治学研究科教授の木村草太さんが上梓した『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』巻末の対談を一部抜粋・再構成して紹介します。お相手はブラック部活動、いじめ問題、教師の長時間労働などの背景を研究し、現場のリアルな声を発信してきた教育社会学者の内田良さんです。

日本の教育論はねじれを抱えている

内田良(以下、内田):最初に押さえておきたいのですが、こんな本今までなかったですよね。「教育と憲法」というテーマを考えたとき、学習指導要領の拘束性や、義務教育の公費負担といった議論はあったと思うんです。

ただ、それは政策や理念レベルの大きな話であって教育現場の日常を憲法で読み解くというコンセプトは聞いたことがないです。かつ様々なトピックを横串的に論じていたのが、新鮮でした。

木村草太(以下、木村):ありがとうございます。

内田:これは、私が「リスク研究」という言葉でやっていることに重なります。教育学の世界では、どうしてもシングル・イシューになりがちなんですね。

いじめの専門家は主にいじめだけを論じて、せいぜい不登校の問題は視野に入れているかもしれないけど、子どものスポーツ活動における安全の問題をやっているかというと全然やっていなかったりする。教育活動上のいろいろな困難や問題を貫く視点が少ないんです。

自分にとってはその視点が「リスク」という考え方なのですが、木村さんにとっては憲法なのかもしれないと思いました。

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