人気バンド「弁護士になった初期メンバー」の追憶 2月に解散した「フジファブリック」の軌跡を思う

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「今のメンバーのみなさんが一緒にバンドをやってくれたおかげで正彦はハッピーだったと思います。それだけじゃなくて、みなさんが続けてくださったおかげで、今の正彦もあるんだと思います」

フジファブリックの現メンバーに感謝する小俣弁護士(写真:弁護士ドットコム)

発表前にキーボードの金澤ダイスケさんから電話で活動休止の知らせを受けたという。

「残されたメンバーのみなさんが一番大変だったでしょう。最初は何をやっても比較されるだろうし、きっと試行錯誤をしていたはずで、それでも続けてくださってありがたいです。そんな気持ちがずっとあります」

バンドの故郷である富士吉田市では2012年から、志村さんの命日にあわせて、12月21日〜27日まで防災無線のチャイムに『茜色の夕日』が流れる。バンドも志村さんも愛され続けている。

弁護士として今目指すもの

弁護士の本業は多忙を極める。

「来るもの拒まずで、なんでもやっています。これからも中小企業さんのお役に立てたらと思っています。企業さんと深く関わることで、業界のことも勉強できる。もっと声をかけてもらって、飛び込ませてほしいです。

企業案件でも、人の心の機微が紛争の核になっていることが少なくありません。それを解決するのも弁護士の仕事です」

「街弁」としてあらゆる相談に取り組みながら、犯罪被害者支援にも力を入れている。件数は多くなくても、知的財産分野の仕事が飛び込んでくると楽しいという。

法科大学院ではほとんど明かさなかった「富士ファブリック」の経歴も、弁護士になってからいつの間にか知られるようになった。

「カラオケで『若者のすべて』を歌わされるのがイヤで黙ってたんです(笑)。今は覚えてもらいやすいからありがたいです」

弁護士会のバンドを掛け持ちすることもあった。

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