人気バンド「弁護士になった初期メンバー」の追憶 2月に解散した「フジファブリック」の軌跡を思う
大学を卒業後、父親が亡くなると、地元に戻って継いだ家業の業績は低迷した。家庭教師のバイトもしながら、弁護士を目指して司法試験の勉強をする日々を送った。
「このままじゃ人生終わる」と焦っていたころ、2008年にフジファブリックの地元凱旋ライブをみた。
「私たちがライブした当初のお客さんは知り合いばかりでした。知っている人じゃなくて、知らない人に聴いてもらうにはどうしたらよいかみんなで考えていました。凱旋ライブでお客さんがたくさんたくさん来てくださって、とにかく本当によかったなと思ったんです。『茜色の夕日』を聴いて、富士ファブリックをやっていたときのこととかも一気に思い出してしまって、もらい泣きしてしまいました」
友だちの活躍を目の当たりにして感動すると同時に「これだけ正彦に頑張られると大変だ。負けてらんねーぞ」とも感じた。

メジャーデビューした志村さんのライブを見たのは最初で最後になってしまったという。訃報は突然のことでショックは大きく、どうやっても処理しきれない思いがあふれた。
「やりたいことがまだまだあったはず。『弁護士になった』と直接言えなくなってしまった」
小俣さんの中で何かが変わった。漠然としていた弁護士への志望の決意を固め、法科大学院に進学。自分の実家のような中小企業を助けるために働きたい。そんな思いを改めて再確認して、「人生で初めて」ちゃんと勉強したという。
法科大学院を2014年に修了すると、司法試験には一発で合格。そこから現在は、東京・銀座の「街弁」としてあらゆる相談に応じる毎日だ。弁護士として10年になる。
そのうち、フジファブリックは、志村さんがいたころより、3人体制での活動期間が長くなった。
活動を続けてくれた現メンバーに抱く深い感謝
志村さんを失ってからも継続を決めた現メンバーに、ひとかたならぬ感謝の気持ちがある。
2010年7月のバンド主催イベントに招待されてから、現メンバーとはゆるやかに関係が続く。「正彦がつないでくれたご縁」と小俣さんは言う。