「78歳でも討伐のために出陣」織田信長の躍進を予見した朝倉家"戦国最強の爺"とは

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一乗谷朝倉氏遺跡(写真:ふぇありー / PIXTA)
一乗谷朝倉氏遺跡(写真:ふぇありー / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第14回では、織田信長と敵対関係にあった「朝倉家」について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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アワビは禁止!伝説だらけの名門

名門、朝倉家のルーツについては、さまざまな説があり、 孝徳天皇の皇子・表米親王(うわよねしんのう)を祖先とする見解もあるが、はっきりとはわかってはいない。

いずれにせよ、但馬(現在の兵庫県北部)に永住した豪族にそのルーツがあることは確かなようだ。

「朝倉」の苗字を用いるのは、平安時代末の朝倉宗高(むねたか)からで、その子にあたる高清は、関東で民衆を困らせた白猪を退治したという伝説を持つ。

この高清から数えて7代目(8代目あるいは9代目とする説も)にあたるのが、越前朝倉家の初代当主、朝倉広景(ひろかげ)である。広景が越前朝倉家の祖となり、それ以後、11代当主の朝倉義景(よしかげ)まで、朝倉家は続くことになる。

朝倉家では、アワビを食べることが禁じられていた。「祖先が海でアワビに助けられた」という伝説があるからだ。

そんな伝説多き朝倉家は但馬で興った。南北朝の争乱のなかで、足利氏の氏族である 斯波高経(しばたかつね)のもとに配属される。斯波高経は室町幕府から、越前(現在の福井県南部)の守護に任じられたため、朝倉氏もそれに従い、越前へと入国した。

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