父は下剋上に成功、子の長政は劣勢でも大勝利…「浅井氏三代」愚鈍とされた「浅井久政」の意外な手腕

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浅井三代の墓(写真:紀伊 / PIXTA)
浅井三代の墓(写真:紀伊 / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第15回では、織田信長と同盟関係にありながら、裏切った「浅井家」について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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「生存競争の敗者」とまで言われた浅井久政

「平和の愛好者は、固より生存競争の劣敗者たるを免れず」

平和を愛するものは生存競争に生き残れない――。浅井氏の研究書『東浅井郡志』で、そんなふうに揶揄されたのが、浅井久政である。

久政の子である浅井長政は、織田信長の妹・市を妻に迎えているにもかかわらず、同盟相手の織田家を裏切る。そして、朝倉と手を組むと、信長軍を挟み撃ちにし、追い詰めたことで知られている。

だが、長政の父である浅井久政はというと、冒頭にあるように、ずいぶんと後世の評価が低いようだ。『東浅井郡志』では「久政は父の亮政のように、熱烈なる信仰を持っていない」とも評されている。

久政の父で、長政の祖父にあたる浅井亮政(すけまさ)がずいぶんとインパクトが強い人物だったため、それに比べると、久政はどうも小粒だったようだ。

浅井家の礎を築いた浅井亮政から、その息子の久政や、さらにその子である長政へと、主君の座はどのように引き継がれたのだろうか。

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