天明7(1787)年に老中首座となり、これから政策を推進していこうとした定信からすれば、出ばなをくじかれたような思いがしたことだろう。両作品とも武芸と学問を奨励した自身の政策をからかったもので、黙ってはいられなかったようだ。
春町の悲惨な最期
喜三二は戯作の執筆を禁じられてしまい、春町は定信から出頭を命じられた。出頭には応じなかった春町だが、数カ月後に死去。死の原因はよくわかっていないが、主人に迷惑をかけるのを恐れて自殺したともいわれている。
人気作家の二人の作品を出せなくなったうえに、寛政2(1790)年には「出版統制令」も発布されて、追い詰められた重三郎。なんとか活路を見いだそうとして始めたのが「浮世絵の出版」だった。
【参考文献】
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)
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