東京で東大卒の父親と、短大卒の母親のもとに生まれた家原さん。生まれてすぐ、両親の地元の島根県松江市に引っ越し、高校卒業までの18年間を島根県で過ごしました。
小学校4年生から6年生までサッカーをしていましたが、内気な性格で、本当に好きなのは絵を描くことだったそうです。
「兄弟がいなかったので、1人で絵を描くことが多かったです。小学生のときは、『ONE PIECE』などの漫画の模写をするのが好きだったので、授業中にノートに落書きをして、同級生に見せていました。よく先生にもバレていたのですが、『うまいですね!』ってほめてもらえました」
『ライ麦畑でつかまえて』を読んで教師を志す
そのまま地元の中学校にあがった家原さんは、ソフトテニス部に入り部活に打ち込む日々を送ります。成績はよく、学年70人のうち5番目以内でしたが、塾には通っておらず、根を詰めて勉強をした記憶はあまりないそうです。
「テスト前になって、ようやくしっかり勉強をするくらいでした。当時は夢や、なりたい職業などはなく、将来に対してイメージが湧かなかったです」
高校受験では、県内の進学校である島根県立松江北高等学校を受験し、見事合格しました。
家原さんは、学年300人の中で100番程度の成績をキープしつつ、友達ともしっかり遊ぶ生活を送り、高校2年生のときには生徒会長になります。華やかな青春時代にも思えますが、本人の中では、どれも中途半端で、頑張りきれた感覚はなかったそうです。将来進みたい道についても、中学時代から同様に、高校3年生の秋ごろまではイメージできないままでした。
そんな彼が進路を決めたきっかけは、ある不朽の名作を読んだことでした。
「中学時代に読んだ『ライ麦畑でつかまえて』を、高校3年生になってからまた読み返したんです。16歳のホールデンという少年が高校を退学してニューヨークの街を放浪する話なのですが、彼は欺瞞に満ちた社会や、大人に対して鬱屈とした怒りを抱く一方で、子どもなどの純粋な人を愛する人でした。
私は、崖の近くで子どもが遊んでいるときに、彼らが落ちないように捕まえる”キャッチャー”になりたいというホールデンに共感しました。彼の思想に近い学部が教育学部だったので、国公立大学の教育学部を目指すことを決意しました」
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