保体審は各運動部の部長や監督コーチを招いて原宿の南国酒家で年に数回の宴会を行った。田中はそこで運動とはもともと縁がないけれども、名目上「部長」や「副部長」の肩書を与えられた教員たちの間を遊弋(ゆうよく)して「部長」と持ち上げ、「いい気分」にさせることに細かい気づかいを示した。
「これもまた、田中の人心掌握術・人脈づくりの一つなのであろう。運動部の部長に推薦された学部長は、たいてい田中シンパになった」(115頁)と森は書いている。
保体審と校友会という2つの権力基盤
学部長は理事になる。全学部の学部長を「シンパ」にすれば理事会で圧倒的多数派を形成することができる。単純な足し算であるが、これを恐ろしいほど愚直に行ったところに田中の非凡さはある。
大学経営に隠然たる力を持つ巨大組織校友会は田中体制が始まる前は混乱のきわみにあった。大学から受け取る運営予算をOBたちが「打合せ」と称して飲み食いに蕩尽し、にもかかわらず評議員や理事の選出母体として大学運営にはうるさく口を出した。田中は校友会本部の事務局長になると校友会刷新に乗り出し、それに成功した。
「全国各地の支部の会合に精力的に顔を出す一方、上京してきた地方の役員や幹部とも気軽に酒を酌み交わし、あちこちに『田中シンパ』を生んだ。そうして着々と自らの権力基盤を固めていったのです」(122頁)という証言を森は拾い上げている。これもずいぶんと手間のかかる派閥形成だけれど、手間がかかる分だけ確実だということはあるだろう。
この保体審と校友会が田中の2つの権力基盤だった。田中はこれを単純な利益誘導ではなく、むしろ心情的な「シンパシー」によって形成した。たぶん田中という人は対面的状況ではずいぶんと「感じのいい人」だったのだろう。
ここが難しいところなのである。
日大ほどの巨大組織をとりまとめるためには、ただ「仕事ができる」とか「目端が利く」というような資質では足りない。「会って頼めばだいたいのことはなんとかしてくれる人だ」という声望が要るし、なによりも「自己利益よりも組織の利益を優先している」という評価は絶対に必要である。
「組織に供託された公共財を中抜きして私腹を肥やしている」という類の評言は(悪意ある噂レベルでも)独裁的な権力の座に手を届かせようとしている人にとっては致命的なものとなりかねない。
本書を読む限り、田中は少なくとも権力の座にたどりつくまでは、そのようなタイプの悪評に足を取られずに巧みにキャリア形成に励んできた。
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