1人目は終戦後、飛躍的に日大を大きくした「大学中興の祖」古田重二良(じゅうじろう)である。私たちの世代の人間にとっては「古田会頭」の名は、日大闘争の「悪役」として日大全共闘の伝説的な指導者秋田明大の名前とともに忘れがたく記憶されている。
古田は児玉誉士夫とも住吉会ともつながりがあり、学生運動を弾圧するために学外の右翼やヤクザまで動員して、「関東軍」や「桜魂会」といった反時代的な名称の部隊を編制して、全共闘の学生に対して激しい暴力をふるったという。
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一が文鮮明と組んで、日本の「共産化」を防ぐために国際勝共連合を結成したのと同じ時期の話であり、古田が学生に抱いた恐怖と憎悪は教育者としてのものではなくて、たぶんに反共イデオローグとしてのそれであった。
今の若い人にはなかなか想像が難しいだろうけれど、学生たち主導の「大学改革運動」(日大闘争の場合、きっかけになったのは巨額の使途不明金問題や裏口入学問題といった経営サイドの不祥事であった)を政治的な文脈で読み替えて、これを「革命運動」だと思い込んで異常な暴力を加えた人たちが1970年までは日本のエスタブリッシュメント(の一部)を形成していたのである。
同じ時代の韓国で、学生や市民の民主化運動が「北の陰謀」とみなされて暴力的に弾圧されたのと変わらない。しばしば現実よりも幻想の方が現実的なのである。それは今もあまり変わらない。
「日大帝国」を築いた2人目の独裁者
古田に続く2人目の独裁者が「日大帝国」を築いて、長く君臨した田中英壽、本書の主人公である。田中は古田の薫陶を受け、古田をロールモデルとして自己形成したと思われる。
田中は学生時代相撲部のエースとして活躍した。3年生で学生横綱になり、在学中に34のタイトルを手にした。1学年下に輪島博(のちの横綱・輪島大士)がいて、高校生時代からライバルだった2人は輪島が日大に進学すると、「日大相撲部の両エースとしてともに学生横綱となり、大学相撲界をリードしていった」(99頁)。
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