57歳「鬼軍曹」が挑む"世界一過酷なレース"の中身 猛獣に狙われ、不眠不休の極限状態…そこで真理を見つけた

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高専を卒業後、化学会社に就職して研究職をしながらも、オリエンテーリングは続けていった。1993年、大規模なトレイルランニング大会で優勝。そのことがスポーツ新聞に掲載され、田中さんの運命を変えることになった。イベントプロデューサーから連絡があり、ボルネオ島で開催されるアドベンチャーレースに、タレントの間寛平さんと出場しないか、と打診されたのだ。

未知の冒険レースへのチャレンジに胸が高鳴ったが、気がかりだったのが、チーム競技という点。ひとりで自由に動けるオリエンテーリングと違い、アドベンチャーレースは前述の通り、チームで挑まなければならないからだ。協調性のない自分に務まるだろうかと迷ったが、それでも興味のほうが勝り、出場を決めた。

アドベンチャーレース
クレバス(深い割れ目)で足元が安定しない氷河(写真:イーストウインドプロダクション提供)

温厚な間寛平さんをキレさせた

メンバーは男性4人、女性1人の合計5人。リーダーは寛平さんだが、実質的にチームを牽引する役割は田中さんだった。

そしてレースがスタート。田中さんは相手の気持ちに配慮せず、正論をひたすらぶつけるという、子どものころの性格そのままにチームを牽引していった。それが続くうちに、弟子にも怒らないといわれる温厚な間寛平さんが、「いちいち命令すんな!」とぶちぎれた。

女性メンバーも精神的に追いつめられてしまい、「もうやめて!」と叫び出す始末。何とか無事に完走することができたが、後味はよくない。レースを通じて、田中さんは人間性の至らなさを痛感させられることになったのだった。

「人って正しいことを言われても、気に入らなかったら受け入れないんです。(正論だけを振りかざしても)人間関係でよいことなんてまったくないのに、僕はわかっていなかった。このままじゃいけないと気づいたときに、アドベンチャーレースは自分が成長できる場だなと思ったんですね」

アドベンチャーレース
危険すぎるがゆえ、チームワークは必須だ(写真:イーストウインドプロダクション提供)
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