山形で人気トップ「金の鶏中華」店主の痛恨の失敗 ラーメンバーで成功も、客の気持ちを見失って…

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名物は『金の鶏中華』。蕎麦ダレは使わず、鶏のスープに醤油と塩のカエシを加えたラーメンらしい鶏中華を仕上げた極上の一杯である。

「金の鶏中華 ワンタン入り」
「新旬屋 本店」の「金の鶏中華 ワンタン入り」。蕎麦ダレは使わず、鶏のスープに醤油と塩のカエシを加えたラーメンらしい鶏中華を仕上げた極上の一杯だ(筆者撮影)

小さな町・新庄から山形県人気No.1のラーメン店が生まれたのはなぜか。店主の半田新也さんを取材すると、その並々ならぬ努力の歴史が見えてきた。

道の駅などの施設を管理する会社で働いていた

半田さんは山形県最上郡戸沢村の出身。小さな村で、家の周りは360度山に囲まれた自然溢れる場所だった。ピーク時には年間60万人が訪れた「最上川舟下り」が有名な村だ。

高校を出てからは仙台の専門学校に通っていたが、姉2人が結婚し村を離れるということで、半田さんは戸沢村に戻ることになる。そこで戸沢村産業振興公社という温泉や道の駅など村の施設を管理する運営会社に入社した。

暖簾の前に立つ半田新也さん
「新旬屋 本店」の店主・半田新也さん。意外にも、その社会人人生は、温泉や道の駅など村の施設を管理する運営会社から始まったそうだ(筆者撮影)

ここでは村の観光資源を活用し、村にお客さんが集まってくれるようなさまざまな企画に取り組んでいた。そうこうしているうちに村の特産品を作ろうという企画が持ち上がった。

山形は寒暖差が激しく、蕎麦の栽培に適しているということで、米の減反政策で蕎麦を栽培する人が増えてきた頃で、この地元産の蕎麦粉を使った特産品を作ることになった。そこで半田さんが思いついたのが韓国の「冷麺」である。韓国との交流が盛んだった戸沢村で、山形の蕎麦粉を使った冷麺を作ったらヒットするのではないかという考えだった。こうして生まれたのが「戸沢流冷麺」で、当時から20年数年経った今でも地元の特産品として人気になっている。

「戸沢流冷麺」の開発から製麺に興味を持った半田さんは、大和製作所という製麺機メーカーに出会う。仙台営業所を訪ねて製麺をさせてもらっているうちに、社長の藤井薫さんに出会うことになる。

藤井社長は香川で讃岐うどんの製麺機を開発し、その後「博多一風堂」の店主・河原成美さんとともにラーメンの製麺機を開発した。開業希望者に向けたコンサルティング事業や、本社で開講する「麺学校」に外国人が殺到するなど、今では世界的に有名な大和製作所だが、藤井社長は当時から世界を見ていて、半田さんはその視座の高さに惚れ込んでしまった。

「小さい頃、将来はプロ野球選手かラーメン屋になると言っていました。野球は肘を壊してダメだったんですが、ラーメン屋にはなれるかもしれないと思ったんです。小学校時代から近所のラーメン屋から出前を取って食べるぐらい好きでした。

サラリーマンの生涯年収を考えたときにもう少し稼ぎたいなと思いましたし、藤井社長のもとで学べばいいラーメン屋になれるかもしれないと思ったんですよね。こうして会社を辞めて香川に行きました」(半田さん)

次ページいずれラーメンじゃなくなるかもしれない…との想いから店名の最後に『麺』の文字を入れた
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