ただ、この年はほかに北里大学、杏林大学、慶応大学、帝京大学の医学部医学科を受験し、このうちの1つに繰り上がり合格することができたため、2浪で進学する決断をしました。
「苦手科目が伸び始めたときに受験が終わってしまったという感覚でした。3浪・4浪したら東大に行けた世界線もあったのかもしれませんが、自分の中では東大に価値があったというよりは、本気を出したらそこまで行けるのかを確かめたかったのです。せっかく大学に受かったので、これ以上浪人するのもつらいし、2浪して東大に行けないのならもういいか、と諦めました」
こうして終わった彼の大学受験生活。山田さんはこの2年を振り返って、「それまでの人生で挑戦したことがなかったから、いい機会だった」と振り返ります。
大学合格、浪人はここからが本番だった
しかし、彼の「浪人」はここからが本番でした。
ようやく大学に進んだ山田さんは、休学2年を含む、6回の留年を経験します。
「私は高2から2浪の終わりまで一貫して東大志望で、どう足掻いても無理だとわかったので、併願で受けた医学部に入りました。だから、医学部がどういうところかをまったく知らないまま入ってしまったのです。
『大学に入ったし、とにかく遊ぼう!』と思ってしまった私は、(医学部が)進級が厳しくて、しっかり勉強をしないといけない学部だと知らないまま生活を送って、気づいたらただでさえ進級が厳しい学部なのに、周囲からも完全に嫌われてしまい、進級に必要な資料や試験対策プリントなどをもらえなくなりました」
山田さん自身も資料を同級生にあげつつ、ギブアンドテイクをしているつもりだったそうですが、遊んでいる人間だというイメージが定着してしまったそうで、『授業に出ていないのに資料をほしがる人』だと周囲に思われてしまったようです。
結局6留を経て、山田さんはなんとか卒業することができました。「大学を卒業してから、同級生にとても迷惑をかけてしまったと後悔しています」と過去の自分の行動や言動を現在、反省している山田さん。
大学を卒業するのにも苦労した彼を、さらに苦しめたのは4年間にも及ぶ医師国家試験に合格するための浪人でした。
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