2浪6留「医学部合格」更に待ち受けた"浪人生活" 医師免許のため勉強する日々、運命の出会いも

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新潟市内の公立小学校に通った山田さんの成績は、中の上くらい。スイミングスクールやKUMONに通いながら勉強を続けたこともあり、中学からは首都圏にある中高一貫校に進学します。

「寮に入って、そこで6年間を過ごしました。夜にみんなで1日3~4時間ほど勉強する時間がありましたし、学校から与えられていた課題は自分なりにこなしていましたが、成績は中の上くらいのままでしたね。自主的に勉強はしていないので、真剣に東大や医学部を目指す人からすれば、あまりやっていなかったと思います」

寮生活がそれなりに厳しい環境だったことで、高校に入っても塾には通わず、学校の勉強だけを続けていた山田さん。高校2年生くらいで、東京大学を志望するようになります。

「ビル・ゲイツや堀江貴文さんのようになりたいと思っていました。ビル・ゲイツはハーバード大学中退、堀江さんは東大中退だったので、憧れの人に近づけると思って東大を目指したのです」

東大には遠く及ばずも、落胆しなかった

山田さんが通った高校は、高校2年生までで、高校3年生までの課程をすべて終わらせる学校でした。そのため高校3年生からは授業に出ず、寮に引きこもってひたすら勉強を重ねていました。

しかし「学力は東大受験生としては物足りなかった」と語るように、高校2年生のときに受けた東大模試では、学校で最下位近くの成績でした。

本人はこの成績には、落胆はしていなかったようです。

「模試の成績はひどかったのですが、英語の要約だけは満点を取れたのです。その結果を開成から東大理科1類に進んだ家庭教師に見せたら『すごい!東大に現役で行く子でも満点は取れないよ』と言われて、『あれ!俺も東大に行けるんじゃないか?』と思いました」

とはいえ、高3のときの東大模試は偏差値37くらいから上昇せず、現役時の受験では東大の理科2類のみに出願したものの、センター試験が70%だったために、足切りに遭いました。ほろ苦い結果とともに山田さんは現役時の受験を終えたのです。

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