【追悼】「生粋の無頼派」福田和也は何者だったか 「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」になり…

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福田の旧宅の近くで飲んでいたその昔、酔いに紛れて不意に彼を呼び出すと、バンドをやっていたことのある彼は、福田パンク和也みたいないでたちで現れ、私は「このパンク右翼が」とからかったのを覚えている。30代半ばの彼は、十分に若かった。

もちろんそれ以前に私は、右翼席にVIP待遇で座らせられた彼のことを、他人事ながらハラハラしながら見守っていたのだった。

パンクな無頼派でもあった彼は、カラオケで小林旭の『ダイナマイトが百五十屯』を下手くそに歌い、「風花」では川村湊(文芸評論家)を殴り倒し、四谷三丁目の文壇バー「英」では、飾ってあった山口瞳の色紙を引きずり降ろして出入り禁止になった。

師・江藤淳を語る言葉から浮かび上がるものは?

もっとも、師・江藤淳を語る彼の言葉からは、そうした自己偽装の跡は探り出せず、もっと「切実な何か」がそこから浮かび上がってくる

江藤氏における「成熟」について、例えば私は「大人」といった事を語りたい訳ではない。江藤氏は、その文業の始めから「大人」であった。氏が二十代の始めに著した『夏目漱石』には、既に今日の古希還暦の年配にも見当たらないような「大人」の相貌が見て取れる。確かにその「大人」さは不思議なものだ。いかにしてこの青年は、このような視線と声音を身につけているのだろう。
(「江藤淳氏の「成熟」」、『福田和也コレクション1』より)


 彼はあるいはここで、江藤淳に託して果たせなかった自身の「夢」を語っていたのかもしれない。

なぜなら江藤淳の「大人」が、4歳で母を亡くし、60代半ばで、先立たれた妻を追うように自死した彼の痛々しい「夢」であったことを、福田和也が知らなかったはずはないからである。

つまり彼はここで、小林秀雄いらいの批評という名のフィクション=「夢」に危機的に接近していたと言えよう。もとよりそれは、死を引き寄せる「夢」以外ではなかったのだ。

福田よ、煙となり雲になって消えた福田和也よ、72の年男になった私はいま、文学的な野垂れ死にを覚悟して、昔読んだ本を読み直し、一冊ずつ捨てているところだ。

次の一冊は、お前さんの『甘美な人生』にしてやろうか。

だがそれにしても、この夏はどこまでも惨く、堪えたな。

じゃあ、次はお墓で会おう、あばよ。

高澤 秀次 文芸評論家

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たかざわ しゅうじ / Shuji Takazawa

1952年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒、評論家。民俗、芸能史から文学、思想史まで幅広いジャンルに意欲的に取り組み、特に作家や思想家の評伝を書かせては鋭い切れ味を発揮する。

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