【追悼】「生粋の無頼派」福田和也は何者だったか 「文壇の寵児」「保守論壇の若きエース」になり…

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一足先に61歳で逝った、福田の『en-taxi』誌の同人仲間・坪内祐三は、その意味で時代錯誤的に旧態依然たる酔っ払いであった。彼が生き急いだのか、死に急いだのか、私にはわからない。

だがそれにしても、かくも年をとりにくい時代に、老いと戦わねばならないということは、何と矛盾に満ちて辛いことか。

45歳で命を絶った三島由紀夫(来年、生誕100年になる!)も、46歳で癌に斃れた中上健次も、どこかで早すぎた老いに追い抜かれた感を拭えない。

晩年の谷崎潤一郎について、今こそ話してみたかった

では、谷崎潤一郎はどうだったか。

一見、老いを巧みに引き受け、演じたかに見える晩年の谷崎は、福田の眼にどう映っていただろうか。今そのことを彼と話してみたい気がする。

私の答えはこうだ。谷崎はただ彼の中の一人の少年を、無傷なまま「変態老人」に変態(メタモルフォーゼ)させただけではないかと。

確かにこの離れ業によって、谷崎は日本近代文学に特有の病、「思春期の狂人」(中村光夫『谷崎潤一郎論』)という罠を、例外的に免れたかもしれない。

ただそれでは、真に老いとの戦いに勝利したことにはならないのだ。

むしろ、勝利なき戦いに向けて言葉を再組織することこそ、老いへの真っ当な構えではないのか。

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